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tacodayoのブログ

ヨハネの黙示録に預言された時代に生きる現代人に必要な情報を発信していきたいと思います。

ヨハネの黙示録第13章の解説

「私はまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。」(ヨハネの黙示録第13章1)

12章3節の赤い龍は
「七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。」
とありますが,13章1節では
「私はまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それにはが十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。」となっています。

龍と違って獣には
「角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。」
とあり,冠の数だけ7個から10個に増えています。又、角と頭の順番が違いますね。


これは,先に説明したとおり十本の角は,
アングロサクソン
スェヴィ
ビジゴス
フランク
アレマニ
バーガンディアン
ロンバルト
オストロゴス
ヴァンダル
ヘルリ
を指し、


これらの力を背景に七つの頭,
アヴェンティーノ
カンピドリオ
チェーリオ
エスクイリーノ
パラティーノ
クイリナーレ
ヴィミナーレ
こと,ローマの七丘(しちきゅう)に象徴されるバチカン=ローマ・カトリックが勢力を握ったことを指します。


そして、十の冠とは
イギリス
アイルランド
ポルトガル
スペイン
フランス
ドイツ
イタリア
スイス
オーストリア
ベネルクス三ヵ国(低地地方三ヵ国またはネーデルランド=ベルギー,オランダ,ルクセンブルグ)
を指します。

※モナコ,アンゴラ、リヒテンシュタイン,サンマリノ,マルタなどは都市,町,村レベルの通称ミニ国家なので除外します。

ただし、白人を差別するようでいけません。
過去は過去
未来は未来。
善い人,悪い人で分けて考えましょうね(^O^)

「頭には神を汚す名がついていた。」とは十字架=クロスや魚の神ダゴン=ニムロデなどを指します。
教皇冠=三重冠やミトラ=司教冠の画像をみれば,一目瞭然ですね(^_^;)


続く2節の
「わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。」
は、旧約聖書ダニエル書の7章に対応しています。
豹はアレキサンダー大王のギリシャ,熊はアケメネス朝ペルシャ=ペルシャ・メディア連合王国,獅子は新バビロニア帝国を指します。
復興ローマ帝国&バチカン市国が,これらの国の軍事力や支配体制の特徴を併せ持ち,やがてその領土(東ヨーロッパや中東一帯)を西ヨーロッパこと,復興ローマ帝国が支配することを指します。
(今でも既に,金融という鎖=借金による影の独裁,つまり国際金融資本家=blue bloodがこれらの地域を支配していますよね。)
ちなみにアケメネス朝ペルシャ=ペルシャ・メディア連合王国の王,キュロス2世ことクロス大王が,来るべき反キリストの隠された名前になります。
エルサレム帰還命令と神殿再建令を出し第一イザヤ書で聖王と讃えられている王で,二回目の神殿再建令を出したダレイオス王と併せて反キリストのひな形になります。―要参照・黙示録17章9~11節
(キュロス大王時代には,神殿再建は代官により武力で中止させられました。)

(キュロス2世)
続く3~4節
「その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、
また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、『だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか』。」
とは,東ローマ帝国方面へ皇帝や主だった貴族階級が移り住み,手薄になった地域にゲルマン民族の大移動が重なり,西暦405年西ゴート族が455年にはヴァンダル族がローマ市内に浸入し略奪の限りを尽くし,「その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けた」のでした。
このような体たらくの西ローマ帝国はやがて滅びましたが,ゲルマン民族を改宗させてローマカトリックは逆にキリスト教世界で大きな力をもつようになります。そしてカール大帝への戴冠式で地上の権力をも手にしたことを指します。
神聖ローマ帝国の誕生です。

カール時代のフランク王国
(青がカール即位時のフランク王国、赤橙がカールの獲得領、黄橙がカールの勢力範囲、濃赤はローマ教皇領)

カール大帝。

教皇レオ3世。中央の(イエスではなく)
ぺテロに向かって膝まづいている。

クリスマスに行われたレオ3世によるカール大帝への戴冠式。ヴァチカン美術館壁画。
クリックで拡大。


西ヨーロッパの歴史はこちらを参考に
第1章 西ゴート族、侵攻!

5~6節
「この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。」
とは、例えば1198年にイノケンティウス3世が、
我こそは
「キリストの代理者」
「教会と世界の最高責任者なり」
と自称し、
「天上、地上、地獄の一切の者は教皇の臣下である」
と発言をしたことを指します。

(イノケンティウス3世。クリックで拡大)
また1294年には、ボニファティウス8世が
「全ての生ける者は、ローマ教皇に臣従することが救いにとって全く必要な事を宣言し、保証し、確認し、発表する」と宣告した事を指します。


彼は『神曲』の作者ダンテに「悪徳の下水溝」と名指しされたほどの振る舞いをしました。

近代でも,ユダヤ人虐殺を指導したり、1950年11月1日に教皇ピウス12世が、聖母マリアの被昇天の祭日に関する教書を発布した際、
「誰であろうと、私の宣誓に反抗したり、逆のことを言ったりすることは、許されない。」と発言したことを指します。


また「四十二か月のあいだ」とは,前章6節の
「そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。」
及び14節
「そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。」
と対応していて,共に1260年の期間を表しています(42ケ月×30日=1260日=3,5年×360日。※太陰暦の354日と太陽暦の間を取って360日)。

そして、この1260年の起点は前に西暦800年だとアイザック・ニュートンが指摘していることを紹介しました。
[要参照]
ニュートンの予言―2060年、世界は滅亡する

7節
「そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。」
とは、エルサレム教会や東方キリスト教会にカトリックへの改宗を強制し、従わなければ迫害しまた壊滅させ,新教徒(ユグノー=プロテスタント)を殺戮し、カタリ派、ワルドー派などを虐殺したことを指します。
さらに、アジアやアフリカ、アメリカ、南米へ植民地支配に乗り出したことを指します。

以下も参考に
封印の福音書が解明した真相
キリスト教の光と影 8.中世カトリック世界の異端騒動

■カタリ派への迫害
「清浄」を意味するカタリ派(アルビ派)はバタリニ派、ラングドック派などとも呼ばれ、カトリックの聖職者の腐敗に対する民衆運動として始まったとされます。が、早くも1022年にはカタリ派信徒の最初の処刑が行われ、1028年と1056年に正式に異端宣告されました。
さらにトゥール教会会議(1163年)や第3ラテラン公会議(1179年)において信仰の禁止が正式に決定されました。
しかし、その後もカタリ派は信者を増やし続けたため,ローマ教皇インノケンティウス3世は,1209年、カタリ派掃討の為のアルビジョワ十字軍の結成を呼びかけました。

(インノケンティウス3世。)

(こちらはローマにある教皇イノケンティウス10世のブロンズ像の前で2004年10月29日に行われたEU憲法の署名)
十字軍は南フランスはピレネー山脈北東部のラングドック地方に浸入し,街や都市を跡形もなく破壊し、作物を焼き,全住民を虐殺しました。
この絶滅は広い範囲で行われ、大変凄まじく、
近代ヨーロッパ史上初の「ジェノサイド(大量虐殺)」
だとされています。

例えば、最初の十字軍の攻撃は7月21日にベジエの街に対して行われ翌日に街は陥落しましたが、少なくとも一万五千人の男女、子供がアルビ派やカトリックであるか否かにかかわらず無差別に殺戮されています。殺された住民のうち、アルビ派はわずか500人程度とされます。
この時、カトリックとアルビ派との区別を問われた教皇特使のアルノー・アモーリは
「すべてを殺せ。神は己の者を知りたまう」
と叫んだとされます。
さらに1229年にはカタリ派への対抗策として異端審問制度が実施されました。
1244年にはカタリ派の最後の砦であったモンセギュールが陥落し、立て篭っていた多くのカタリ派信者が改宗を拒んで火刑に処せられました。
南フランスにおける異端審問は13世紀を通じて行われ、その後も捕らえられたカタリ派指導者たちが処刑され、最後の「完徳者」ギョーム・ベリパストが捕らえられたのは1321年でした。
激しい迫害により1330年を過ぎると異端審問所の資料からカタリ派の名前は消え、信徒たちは山中や森に逃れ、各地へ離散し隠れて信仰を保持しました。

■十字軍
以下は
キリスト教の光と影 10.キリスト教の軍隊、十字軍とは
からの引用です。

教皇「ウルバヌス二世」は皇帝ハインリッヒ四世が北イタリア戦役で苦境に陥っている時、教会の優位を確立するチャンスと見て1095年に
「十字軍の結成」
を呼びかけたのでした。教皇が、皇帝を超えた「軍の形成・支配者」となるチャンスだったからでしょう。

(ウルバヌス二世。オーギュスタン博物館所蔵)
ウルバヌス二世はこの参加者には「罪の許し」を与え留守中の財産は法王権をもって保護するとしました(中略)。
しかしとにかく1099年には残った騎士たちでイエルサレムの進軍は進められ、イエルサレムの奪取に成功したのでした。しかしこの時、「女・子ども」を含め、アラブ人と見るとキリスト教徒であっても見境なく虐殺されていったのであり、その「大量虐殺」は後に大きな禍根を生むことになってしまったのでした。
これは今回だけのことではなく、教皇は常にそれを命じていたということが後に判明してきます。
教皇の目的の一つが「アラブ人の撲滅」であった
というわけですが、こうした傾向を持つキリスト教徒は現在でも多くいることは注意されねばなりません。

以上引用終わり。

■異端審問と聖書所持の禁止
グレゴリウス9世が整備した異端審問の嵐で、百万人が殺されたとされ、その治世下の1239年には自国語で聖書を読むことが禁止されました。
バチカンの公用語、『ゲマトリアで666のラテン語』の聖書しか読むことが認められませんでした。
やがて聖書を所持しているというだけで処罰され、後には火炙りで殺されるのです。
こんな宗教がキリスト教の訳がありませんよね。
(^_^;)
この暗黒の中世の三百年間に、血に餓えた悪魔どもは強姦の後、五百万人の女性を火炙りで殺害しました。
このようにローマカトリックは聖母崇拝(実はイシュタル=セミラミス信仰)など、明らかに間違った教義なども採用しているのに
「ローマ・カトリック教会だけが正当な教会」
とキリスト教他派を否定し,迫害しました。

以下も参考に
キリスト教の光と影 7.マリア崇拝とは

■ユグノー(新教徒)への迫害

(フランソワ・デュボワ(1529-1584)作。
ローザンヌ美術館所蔵。)
カトリック教徒による1572年のサン・バルテルミの虐殺に際し、教皇グレゴリウス13世はプロテスタント虐殺を指揮した国王シャルル9世に黄金のバラを贈りました。
また神への感謝を捧げるためにテ・デウムを唱歌するよう命じ,この慣例は数年後まで続きました。

グレゴリウス13世が虐殺を記念して発行
させたメダル。
左:グレゴリウス13世。
右:「ユグノー撲滅1577年」(Ugonottorum strages 1577)の標語と共に、虐殺されたユグノーと十字架と剣を掲げた天使。

虐殺を記念してグレゴリウス13世がジョルジョ・ヴァザーリに描かせたフレスコ画。1572-73年。

(エル・エスコリアル修道院。クリックで拡大)
また、広大な植民地から強奪した金銀財宝で豪勢なエル・エスコリアル修道院を建設した
スペイン王フェリペ 2世は、虐殺の報告を受けて、生涯でただ一度の笑みをこぼしたとされます。

■ワルドー派への迫害
ワルドー派(ヴァルド派)は、金まみれの腐敗したローマカトリックへの批判から,清貧を追求し、禁欲的な生活をテーマとし、信徒による巡回説教、聖書の(ラテン語からの)翻訳を特徴としました。
その為,教皇から異端宣告を受け、迫害されることになり,1655年ピエモンテにおいてサヴォイア公国王カルロ・エマヌエーレ2世により虐殺されました。

このローマ・カトリックによるワルドー派虐殺に対し、『失楽園』の作者ジョン・ミルトンは追悼の14行詩
『ピエモンテの虐殺(On the Late Massacre in Piedmont)』を書き、1668年にはサミュエル・モーランドは『ピエモンテ渓谷における福音主義教会の歴史(History of the Evangelical Churches in the Valleys of Piedmont)』を書いて批判しています。

■ヤン・フスへの迫害
1412年、教皇ヨハネス23世の免罪符を非難したヤン・フスの論文で目覚めたチェコの民衆。が、3人の下層階級出身の民衆が、免罪符販売の為に来た説教者をはっきりと否定し、免罪符を欺瞞と言った為に斬首されてしまいました。
が,それでもフス派の拡大は止まらず、3人の対立教皇(ベネディクトゥス13世、グレゴリウス12世、ヨハネス23世)を頂いたカトリック側はフスを逮捕します。
1415年、自説を撤回しカトリックの教義を受けいれれば助命するとの勧めを拒否したフスは、「ドラゴン騎士団」の創設者である神聖ローマ皇帝ジギスムントに引き渡され、 絞首刑ののち火刑に処されました。


以下を参考に
真実の求道者ヤン・フス

■サヴォナローラへの迫害
元寇を予言した日蓮のようにフランスの侵攻を予言し、かのミケランジェロにも影響を与えたサボナローラ。


ローマカトリックを批判した為1497年に教皇アレクサンデル6世から破門されました。


左から息子のチェーザレ、娘のルクレツィア、
教皇アレクサンデル6世(ジョン・コリア作
『チェーザレ・ボルジアと共にする一杯のワイン』(イプスウィッチ美術館所蔵)
1498年、サヴォナローラは、教皇アレクサンデル6世の意による裁判で絞首刑の後、さらに火刑に処されました。

こちらも参考に
日蓮上人を論ず no.9

■ウィリアム・ティンダル
聖書をギリシャ語・ヘブライ語原典から初めて英語に翻訳したイギリス人。
カトリックによる宗教改革への弾圧でイギリスからヨーロッパへと逃亡しながら聖書翻訳を続けます。
が,1536年に神聖ローマ帝国の官憲に捕えられ、異端の罪で焚刑(ふんけい=火炙りの刑)に処されました。

処刑されるウィリアム・ティンダル。

こちらも参考に
「第三章 聖書を翻訳した人たち」

ウィリアム・ティンダル―ある聖書翻訳者の生涯

■ミシェル・セルヴェ
三位一体説を批判したため、カトリック・プロテスタントの双方から異端とされました。
カトリックによって投獄され、すぐにしましたが、欠席裁判で有罪の判決が下されました。
各地を転々とした後、逃亡中に立ち寄ったジュネーヴでプロテスタントのカルヴァンの手の者によって逮捕、告発され、1553年ジュネーブ市議会によって火刑に処せられました。

左上に処刑の場面。

こちらもどうぞ。
ジュネーブの処刑場

[15~17世紀のカトリックの歴史]

1459年、教皇ピウス2世,十字軍を提唱。

1484年、教皇イノケンティウス8世、ドイツで魔女狩り、魔術士狩再び活発化。

1487年、イノケンティウス8世、スペインでの異端審問を支持。

1492年、グラナダ陥落、スペインからイスラム教勢力駆逐される。
コロンブス、インドにむけて出航、バハマ諸島に到着
以降、1世記をかけてマヤ、インカ、アステカ文明が滅亡させられる。

1494年、教皇アレクサンデル6世により西経46度37分の子午線を境にヨーロッパ以外の東側がポルトガル、西側がスペインの領土とするトリデシャリス条約が結ばれる。

教皇アレクサンデル6世の不正、腐敗を激しく非難したサボナローラ処刑される。

1500年、大量殺戮の後ブラジル占領される。

1506年、教皇ユリウス2世、サン・ピエトロ寺院を破壊して新たな大聖堂を建築開始。

1529年、教皇クレメンス7世のもと、東経144度30分の子午線を境に西側をポルトガル領土とするサラゴサ条約締結。

1533年、クレメンス7世、英国王ヘンリー8世を破門。

1536年、ウィリアム・テンダル、火炙りで殺害される。

1537年、教皇パウロ3世、イエズス会を認可。

1553年、ミシェル・セルヴェ、火炙りで殺害される。

1571年、フィリピン占領される。

1572年、サン・バルテミーの虐殺。

1584年、スペインのエル・エスコリアル僧院,マヤ、アステカから略奪した財宝で22年かけて完成。

1618年、神聖ローマ帝国でプロテスタント蜂起、30年戦争始まる。

1626年、教皇ウルバヌス8世のもとバチカンのサン・ピエトロ大聖堂完成。

1633年、ウルバヌス8世、カトリック教徒のガリレオ・ガリレイに地動説を撤回させる。

1655年、ピエモンテの虐殺。

1658年、西インド諸島マルティニーク島住民,フランスにより完全に全滅させられる。

以下は
『欧米の植民地支配』
からの引用です。

最初にアメリカ大陸に到着したスペイン人は、 簡単にアステカ帝国やインカ帝国を亡ぼし、金銀宝物を略奪し、反抗する先住民を見境なく殺していった。
その数は前章でも触れたように、多く見積もって1億人(白人がもたらした流行病死も加えて)に上るといわれる。
これでは金銀の鉱山が発見されても、採掘の労働者が足りない。砂糖や、コーヒー、タバコなど白人に都合のよい植物農耕のための人手も足りない。
そこで彼らが考えたのは、アフリカから労働力として黒人奴隷を連れてくることであった。
かれらは原住民を殺し過ぎた結果、労働力不足に気がつき、鉱山労働力や農場の労働力を、アフリカから収奪することになる。
白人たちは多数殺しておいて、その穴埋めにまた悪事を働く。
ここに人類史に刻まれる二つの悪行を、彼らは同時に進めることになった。
(中略)
十六世紀から十八世紀にわたる奴隷貿易は、欧州、アフリカ、新大陸の三大陸にまたがる三角貿易によってがっちりと組み立てられ、欧州に莫大な利益をもたらしたのである。参加した国は、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスの五ヶ国である。
奴隷商人たちは、ヨーロッパから安物のビー玉、火器(銃器)、木綿の工業製品をもってアフリカ・ギニア湾岸にいたり、黒人奴隷と交換し、奴隷を南米ブラジルや西インド諸島で売り飛ばした。次にその金で土地の砂糖、綿花、タバコ、コーヒーなどの亜熱帯農産物をしこたま積んで、ヨーロッパに帰ってくるのである。
三角貿易の完成だ。
この貿易は一貿易で三重の利益が得られる。中でも最も巨利を博したのはイギリス、フランスであった。

■18世紀
奴隷貿易で最盛期を迎えるのは、十八世紀である。推計では十六世紀は九十万人、十七世紀は三百万人、十八世紀は七百万人、十九世紀は約四百万人が奴隷として売買されたといわれている。概算1500万人である。
一人の黒人を新大陸に連れて行くまでに、五人の黒人が中途で死んだという恐るべき推計があるから、アフリカから働き盛りの黒人が数千万から一億人近く連れ出されたことになる。

以下は
キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事
からの引用です。

「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。
『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び 、わめくさま地獄のごとし』。
ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。
『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。
肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。

日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、
かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。
キリシタン大名たちに神杜・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。
数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた事実を、今こそ、日本のキリスト教徒たちは考え、語り継がれよ。その勇気があればの話だが」。
(中略)
なお今年の1月30日に、第5版が発行され た、若菜みどり著「クアトロ・ラガッツィ(四人の少年の意)」(天正少年使節と世界帝国)P.414〜417」に奴隷売買のことが報告されていますが、徳當蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇P337-387」からの引用がなされているにもかかわらず、「火薬一樽につき日本娘50人」の記録は省かれています。
そして、「植民地住民の奴隷化と売買というビジネスは、白人による有色人種への差別と資本力、武カの格差という世界の格差の中で進行している非常に非人間的な『巨悪』であった。英雄的なラス・カサスならずとも、宣教師はそのことを見逃すことができず、王権に訴えてこれ を阻止しようとしたがその悪は利益をともなっているかぎり、そして差別を土台としているかぎり、けっしてやむものではなかった」(p.416〉と説明して、売られた女性たちの末路の悲惨さを記しています。かなり護教的な論調が目立つ本です。

秀吉は準管区長コエリヨに対して、「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行 ったすべての日本人を日本に連れ戻せ」と命じています。

以上引用終わり。

以下も参考に
ヨーロッパの世界支配

まさに前章12:12で
「それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちは不幸である。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」
とある通りですね。

そして、18章4~5節には、
「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。」
とあります。
私は別に、カトリックの信者の方に何の恨みつらみもございませんが、老婆心ながら御忠告させていただきました。
(~_~;)
悪く思わないでね(^_^;)

さて,
これらの悪事は全て
“十字架”のもとで
行われました。

聖・十字架=セント・クロス

続けて読めば「サンタクロース」になります。

グレゴリウス13世が虐殺を記念して発行させたメダル。
左:グレゴリウス13世。
右:「ユグノー撲滅1577年」(Ugonottorum strages1577)の標語と共に、虐殺されたユグノーと十字架と剣を掲げた天使。



悪事の限りを尽くして得た金銀財宝で作られた富で寄進された教皇冠



皆、十字架が付いていますね (/_;)/~~
フィリピンでは人口の約84%の信徒をかかえるローマ・カトリック教会
現代ではイエズス会だけでも、六大陸の112カ国で活動する2万人の会員がいます。

8節
「地に住む者で、ほふられた小羊の命の書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。」

“命の書”とは,なんか中国の『水滸伝』みたいですね。
というよりは、景教=東方キリスト教が『水滸伝』に影響を与えたというほうが正しいでしょう。
唐の太宗皇帝もキリスト教にいたく感激し、広く布教するように使徒たちに命じました。
ただ、唐や元がヨーロッパと違ったのはキリスト教だけでなく他の宗教の信仰の自由を認めた事でした。
又、景教もローマカトリックと違って、権力を握ろうとはしませんでした。
イスラム教の開祖、ムハマンドも信仰の自由を保証しましたね。
この点からもローマカトリックが悪魔の宗教=獣であることがわかります。
「龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。」とある通りです。
そして、「みな、この獣を拝む」ことを強制しました。

ただし、改心して後から『命の書』に名前が刻まれる事もあります。

9節
「耳のある者は、聞くがよい。」
は、後の10節以降だけでなく、前の8節にもかかっていますので注意しましょう。

10節
「とりこになるべき者は、とりこになっていく。剣で殺す者は、自らも剣で殺されねばならない。ここに聖徒たちの忍耐と信仰とがある。」
は、読んだまんまですね。

11~18節
「わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。
そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。
また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。
さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。
それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。」
とは,皆さんご存知の通り、世の終わりに現れる反キリストの事ですね。
ここでは、彼は“先の獣”ローマカトリックの権威を着て現れることが預言されています。

が、この反キリスト(後の獣)は復興西ローマ帝国と共に、先の獣=大姦婦(バチカン)を利用するだけ利用して最終的に
「あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。(17:16)」
とされています。酷い話?ですね・・・(^_^;)違うか

さて,先にこの反キリストのひな形は、ペルシャ・メディナ連合王国=アケメネス朝ペルシャのキュロス大王(キュロス二世)とダレイオス王であると指摘しました(ただし、終わりの日に現れるのは同一人物だと考えられます。あくまで第三神殿がらみ)。

が、シンクロニシティによるひな形は、セレウコス朝シリアのアンティオコス4世エピファネスとローマ皇帝ネロになります。
どちらもゲマトリアは666になります。


(ネロのゲマトリア。
アンティオコス4世エピファネスのゲマトリアは不明)

アンティオコス4世エピファネスはダニエル書でも預言されたとおり、エルサレム第二神殿の日ごとの供え物を廃止して、ゼウス像を据え付けました。


666の獣の雛型、アンティオコス4世エピファネス



第5代ローマ皇帝ネロ
【表】獣と神殿と離散と帰還のシンクロニシティー


また、7章10~11節の
「そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。
昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。」
は、人物を表していると同時に、イスラエルから見た世界帝国をも指します。
ヨハネの黙示録の黙示録が頻繁に大バビロンと書いていますので、スタートは必然的に古代バビロニアで決まりです。

既に倒れた五人とは、
1,ハンブラビ法典で有名な古代バビロニア帝国
2,アッシリア
3,ダニエル書の新バビロニア
4,アケメネス朝ペルシャ
5,アレクサンダー大王のギリシャを指します。

そして、今いる獣はローマ帝国になります。
まさにヨハネが生きた時代ですね。

そして、すぐに居なくなる獣はウルバヌス2世の呼びかけによる十字軍が、エルサレムを占領した事を指します」エルサレム王国とその背後のローマカトリック)。
そして、8番目の獣は復興ローマ帝国です
(既に国際金融資本家=blue bloodによりアラブ諸国は影の独裁で完全に支配されていると考えても良いでしょう)。

(エルサレム王国紋章。十字架が一杯)

ちなみに、イスラム教国(オスマン帝国やサラセン帝国など)はイスラエル(ユダヤ)民族と兄弟の関係になりますので、異民族=異邦人の支配には含めません。
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