□ヤマト言葉とヘブライ語の類似
略
しかし、日本語とヘブライ語に共通する言葉は大和言葉にみられるような訓読み、すなわち和語にみられ、話し言葉に関連しているという主張が見られる(訓読みを参照)。
略
□イスラエルのユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグ『大和民族はユダヤ人だった』(たま出版 1984年(昭和59年))は、以下のような例を提示した。
ひらがな・カタカナとヘブライ文字の類似を指摘した(ただし、ひらがな・カタカナは9世紀ころに成立したとされる)。
日本語の中にヘブライ語に類似した単語が混在していることも指摘した。
「私は14年の歳月をかけて世界各地の言語を調べあげた。世界には中南米のマヤ人をはじめ、いくつも“失われたイスラエル10支族”の候補となる民族がいるのだが、日本語のようにヘブライ語起源の言葉を多数持つところはなかった。
一般に日本語はどの言語にも関連がないため、“孤立した言語”とされているが、ヘブライ語と類似した単語がゆうに3000語を超えて存在している。」としている。
天皇の公式名である「スメラ・ミコト」は古代ヘブライ語アラム方言で「サマリアの大王」を意味し、初代神武天皇の和風諡号である「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」は「サマリアの大王・神のヘブライ民族の高尚な創設者」という意味になっているという(「サマリア」とは古代の北イスラエル王国の首都)。
なお日本語として直訳すると神(接頭語)+倭(大和国・奈良県の旧国名)+伊波礼(磐余・奈良県の地名)+毘古(彦・男子)であり、これは神武東征を成し遂げ大和の地で日本を建国した若御毛沼命(若々しい食物の主の神・神武天皇の生前の御名)に贈られた諱号である。
『日本固有文明の謎はユダヤで解ける』ではアイデルバーグは(ヨッド=Y、アイン=a' とした。)
カムヤマトイワレビコスメラミコト(初代神武天皇の和風諡号)
QMW・YMthW・a'VRY・VKWR・shWMRWN・MLKWthW =創設者・ヤハウェの民・ヘブル人・高尚な・サマリアの・王
ただし、同じ本で、ジェフ・メルニックによる ビコ=VQWR=渡来した との解釈も示されている。
また、アイデルバーグの『日本書紀と日本語のユダヤ起源』では、ヤマト= YH AMWthW との解釈が示されている。
『日本書紀と日本語のユダヤ起源』や『日本固有文明の謎はユダヤで解ける』によると、アイデルバーグは、天岩屋戸の前でコヤネが唱えたといわれる祝詞(ヒイフウミイ…)について、以下のような解釈を示した。(ヨッド=Y、アイン=a'の書き換え法に基づく)
ヒイフウミイヨウイツムウナナヤアココノトウ
一 二 三 四 五 六 七 八 九
十
(神道の石上鎮魂法の「ひふみの祓詞」では、「ひふみよいむなやこともちろらねしき…」)
H・YpfH・MY・YtsYAH・MH・Na'NH・YQNH・thVWA
その・美しい(人)・誰?・出す・何?・答える・連れ出す・(彼女は)来る (その美しい人を誰が出すのか? 彼女を連れ出し、彼女が来るために、どのように答えるのか?)
□川守田の解釈
川守田英二は『日本言語考古学』や『日本ヘブル詩歌の研究』で以下のような例を提示した(川守田は、ヨッド[yod](י)=I、アイン[ayin](ע)=Y、シン[shin](ש)=S という置き換え法を採っており、以下はこれによる)。
アッパレ APPR 栄誉を誇る
アラ・マー YL・MH どうした理由・何?
アナタ ANT 貴方
アナニヤシ YNNI・ISY ヤハウェは応えた・救護をもって
アノー AYNH 私に応答させてください
アリガトウ ALI・GD 私に(とって)・幸運です
オイ AWI 泣く
オニ YNI 私を苦しめるもの
オハリ AHR 終端
オヤ AWIH 禍いなるかな
グル GWR 団結する
グル GWL 回る
コラ KRA 自制せよ
サヨウナラ SYIR・NYRH サーイル・ニアラー 悪魔は追い払われた
サラバ SLMH シャロマー 平安あれ
スケベー SKBH 肉欲的に寝る
ソーラ(ン) SWR 注目せよ(「敵」も同じ綴り)
ダマレ DM・ALI 沈黙を守れ・私に(対して)
ドシン DSN 肥満
ノコッタ NKIT 征服した
ハッケ・ヨイ HKH・IHI 投げうて・よろしく
ハイ HIH 生きている/居ます
ヒリ HIL 痛みを感じる
マズ MH・ZH 何?・これは
ヨイショ IH・ISY ヤハウェは・助ける
ワル YWL 凶悪な者
□伊勢音頭
ヤートコセ・ヨーイヤナ IH・TQY・SWR・IHWI・IkhNN ヤハウェは・投げた・敵を・ヤハウェは在る・憐れみ深く
コノナンデモセ KWNNH・NGID・MSH 樹てた・指導者(祭司)・モーセを
□最上川音頭
ヨイコラマカセ IpfI・QHL・MkhH・SWR 栄光の・民は・清掃した・敵を
エンヤラマカショ AWN・IHL・MkhH・SAR イワレヒコの・人格は・清掃した・残徒を
ドスゴイ DWS・GWI 踏み落とせ・異教徒を
エンヤコラマカショ ANI・AQRAH・MkhH・SAR 私は・布告す・清掃せよ・残徒を
よさこい節
サコイ ISR・khWI 懲らしめよ・蝦夷(カイ)(エブス:エルサレムの先住民)を
東北民謡ナニャドヤラ
ドッコイセー DKA・khWI・SWR 粉砕せよ・蝦夷(カイ)(エブス)・敵を
これらの語は、千年以上変化を続けて現在の語形になったものなので、ヘブライ語との比較は語呂合わせの域を脱していない。
□サミュエル・A・リンドバーグの解釈
(タコ注 初めて太平洋横断)
天皇の古称である「ミカド(帝)」はヘブライ語に訳すと「ガド族出身の者」という意味に当たるとして、天皇はガド族の子孫と主張した。ガド族の始祖であるガドの長男の名前は「ニェポン(ニッポン/英語ではジェッポン)」であったという主張もあるが、英語版聖書での表記は Ezbon であり、ジェッポンとする主張の根拠は不明である(「日本」の読み方については、呉音読みニッポンや漢音読みジッポンに由来するという説が有力である)。(ミカドについては、ミ・ガドー:MY・GDWL:「偉大な者」とする説もある)
その他のヤマト言葉のヘブライ語解釈 編集
久保有政の著書によれば、
川守田は、ワッショイ = ヴァー・イェシュ・イャー(VA・Ysha'・YH) 来る・救い・ヤハウェ と解したとされている。
久保の著書によれば、エッサ は 持ち運べ の意味だとされているが、久保の別の共著『日本固有文明…』では、エッサ = AshA 持ち上げるぞ の意味ともされている。
□民間語源
平安京に遷都した桓武天皇は、古代ヘブライの燔祭(はんさい)の儀式を行なっていた。
平安京のマークは、あのダビデの紋章と言われ、現在の京都市の市章は、その平安京のマークを図案化したものだと指摘されている。
平安京をヘブライ語になおすと「エル・シャローム」、すなわち、ヘブライの聖地「エル・サレム」である。
名称の類似だけでなく、聖地エルサレムの「城塞」は12の門を持つなど、構造が平安京と、よく似ていることが指摘されている。
中国の見解では、平安京は中国の洛陽を建設のモデルにしたとしている。
平安京は、ヘブライ語でエル・シャローム(平安の都)となり、古代イスラエルの都エルサレムと同じである。
平安京は、天皇の住まう都だが、エルサレムも別名で、「ダビデの町」と呼ばれていた。
「東方の日出づる国」は古代より、ヘブライの民にとって、「天国」を意味している。
約束の大地カナンは、「カヌ・ナー」の転聲としてヘブライ語で読むとき、「葦の原」を意味する。
「東方の日出づる国」は、ヘブライ語で「ミズホラ」と呼ぶので、日本の古名である「豊葦原(トヨアシハラ)ミズホの国」の意味が判明すると指摘する研究家もいる。
更に大和朝廷の「ヤマト」は、ヘブライ語アラム方言では「ヤ・ウマト」と分解され、「神の民」という意味になるという。
□聖書の関連記述
イザヤ書11:11〜「その日が来れば、主は再び御手を下して御自分の民の残りの者を買い戻される。
彼らはアッシリア、エジプト、上エジプト、クシュ、エラム、シンアル、ハマト、海沿いの国々などに残されていた者である。主は諸国の民に向かって旗印を掲げ地の四方の果てからイスラエルの追放されていた者を引き寄せユダの散らされていた者を集められる。」
イザヤ書11.12では、十部族を「イスラエルの追いやられた者たち」と呼んでいるが、この「追いやられた者」とは、「割礼なき者」を意味する言葉でもある。
この預言を十部族に適用するなら、歴史的、伝統的に割礼の習慣を持つ民族は、十部族の候補から自動的に除外される。
イザヤ書24:14〜「彼らは声をあげ、主の威光を喜び歌い海から叫び声をあげる。それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び、海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。地の果てから、歌声が聞こえる。「主に従う人に誉れあれ」と。」
イザヤ書43:1〜「ヤコブよ、あなたを創造された主は、イスラエルよ、あなたを造られた主は、今、こう言われる。恐れるな、私はあなたを贖う。あなたは私のもの。私はあなたの名を呼ぶ。…恐れるな、私はあなたと共にいる。私は東からあなたの子孫を連れ帰り西からあなたを集める。北に向かっては、行かせよ、と、南に向かっては、引き止めるな、と言う。私の息子たちを遠くから娘たちを地の果てから連れ帰れ、と言う。彼らは皆、私の名によって呼ばれる者。私の栄光のために創造し形づくり、完成した者。」
イザヤ書41:1、42:4、51:16、59の21
エレミヤ書16:13〜「ワクチン、お前たちをこの地から、お前たちも先祖も知らなかった地へ追放する。お前たちはそのところで昼も夜も他の神々に仕えるがよい。……私は彼らを、私がその先祖に与えた土地に帰らせる。」とあり、これを十部族に適用すると、地中海世界やアラブや中央アジアやインド以外の地に住み、ヤハウェ以外の神を信仰していることとなる。
ホセア書2:1〜「イスラエルの人々は…彼らは「あなたたちは、わが民でない者」と言われるかわりに「生ける神の子ら」と言われるようになる。ユダの人々とイスラエルの人々はひとつに集められ一人の頭を立ててその地から上って来る。」
ヤコブの7男であるガドの第4子がエッポンないしエツボン(AtsVN)といい(創世記46:16)これが日本の語源と主張される場合がある。(民数記26:16ではオズニとされる)
ベニヤミンの長男であるベラの長男もエッポンないしエツボン(AtsVWN)という(歴代誌I 7:7)。
モーセの妻ツィポラ/チッポラ(tspfRH)の名の原意は「日の本」であるとする主張もある(tspfR:朝/警笛を鳴らす)。
□アミシャーブの調査結果 編集
イスラエルの十支族調査機関アミシャーブ(アミシャブ)によると、十支族である可能性があるものとして、以下が挙げられている。
西アフリカ
セネガル、ガンビア、シエラレオネ、ナイジェリア
南アフリカ
レンバ(ボツワナ)
西アジア
パタン人(アフガニスタン、パキスタン)
中央/南アジア
カナン人(インド)、カシミール人、チベット
東アジア
メナシェ族(ミャンマー)、チアン・ミン族(中国)、日本
南米
ブネイ・モーシェ(ペルー)
古代史・神話 編集
大和朝廷の起源について、騎馬民族征服王朝説を唱えた江上波夫や古代史研究家の澤田洋太郎は、夫余→高句麗→百済→伽耶→大和という流れを想定し、ヤマトは夫余から出ているとしている[32]。夫余の建国神話によれば、建国者である初代王の名は解夫婁(ヘブル)という。
□その他
古代ユダヤ人は金髪や黒人ではなく、黒髪・黒目の褐色の人種で、背は低かった。
日本人とユダヤ人の男性Y染色体の大きさは同じであることが、パリ大学の教授によって発見された。
これは、他には見られない現象だという。
1952年10月14日GHQ総司令部のユダヤ教ラビ、ミルトン・J・ローゼンらが淡路島で発掘作業を行った。
文字が書かれた丸石やダビデの星が刻まれた指輪やナフタリ族の紋章の鹿が刻まれた指輪や岩の割れ目を利用した女陰石などが出土している。
元駐日大使でラビ族直系のユダヤ教司祭エリ・コーヘンによると、文字は古い書体のヘブライ語で「ガル・コディッシュ」と書かれており意味は「聖なる波」又は「聖なる石山(立石)」だと言う。