低線量被曝の被害は、ゆっくりと長い時間をかけて進行しますが、高線量被曝だとこのように急激な症状が現れます。
下の写真は「象の足(アトミック・レジオ・エレファント・フット)」と呼ばれるものです。
象の足とは、2500度以上の温度で圧力容器が炉心溶融し、ウラン燃料や減速材の黒煙や炉心を形成する金属がどろどろに熔けて炉心の下に落ち、さらに下に落下してコンクリートをも溶かし出し、大量の放射能を含んだまま再度固まったものです。
大変に放射線が強いため、今でも近付けば数分で死ぬと言われます。
象の足で作業する二人の作業員に注目。
体が透けて見えます。一説には体が透けてる人はカメラマンとされます。
「炉心の底の部分は、四分の一が爆発時の熱で溶解した。中性子減速材の黒鉛、コンクリートの化学成分である二酸化ケイ素、鋼鉄、ウラン、核分裂生成物などの混合物が溶岩のようになって下の階の廊下まで流れ込み、徐々にかたまった。その形や色から、研究者たちはこの溶解物を「ゾウの足」と呼んでいる。表面の放射線量は毎時八○○○レントゲン。人がそこに数分立っているだけで死んでしまう。これまでに四本見つかっており、巨大なゾウが石棺の中にひそんでいるような錯覚におそわれることがある。」『チェルノブイリ・汚染大地-5年目の報告-』 朝日新聞「原発問題」取材班・著/朝日新聞社1990年
この写真の二人(若しくは一人)と写真を撮った人が、下の写真のような症状でお亡くなりになったそうです。皮膚の細胞のDNAがやられて再生しないためこのような状態になります。右足の先が無くなっていることにも注目。脳や心臓の細胞は、成人以降分裂をしないので、意識を保ったまま地獄の苦しみを味わう事になります。
この急性症状は、主に中性子線と高線量ガンマ線と高線量X線による被害と考えられます。
福島原発の炉心の近くに行けないのも、このような症状を呈する事がわかっているからです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇下の写真はいずれも、1999,9,30の茨城県東海村JOC臨界事故の被曝作業員の大村久さんの写真です。こちらは主に高速中性子線による被曝と考えられます。
が、先の「像の足」の作業員と同じように、皮膚のDNA損傷で全身からリンパ液や血液が流れ出ています。
(上、中が大村久さんの大腸の内視鏡映像。下も大村久さんの筋肉細胞の顕微鏡写真。)
下は同じく篠原理人さんの写真下写真は臨界事故でズタズタのゴミ状態になったDNA(染色体)
以上の写真は
こちらから。
大村さんは約4ヶ月後の12月21日、篠原さんは翌年の4月27日にお亡くなりになりました。大村久さんと思われる写真。ソースは2chまとめ。上のドキュメント本には掲載されていません。
以下は
「千葉市におけるイリジウムによる放射線被ばく事故 (09-03-02-11)」からの引用です。
<概要>
1971年9月、千葉県内のある造船所の構内で、作業員が非破壊検査用の強力な放射線源であるイリジウム192(5.3ci,1.63E12Bq)を拾った。
それが何なのかわからないまま好奇心からズボンのベルトにさし、下宿に持ち帰った。
下宿を訪ねた5人とともに6人(年令:20~30才)が被ばくし放射線急性障害が生じた。
そのうちの1人は、右手の潰瘍(かいよう)と糜爛(びらん)を繰り返し、22年後に血管の萎縮による右第1指(親指)と第2指(人差し指)の拘縮と骨の萎縮、病原菌による感染と疼痛が生じ、この
2本の指を切断した。
<本文>
1.事故の状況千葉市のある造船所構内で、作業員の1人(B)がステンレス製の鉛筆のようなものを拾った(図1)。
(図1)
Bは、それが何なのかわからないまま好奇心からズボンのベルトにさし、下宿に持ち帰った。夕刻、彼の下宿を訪ねた5人の仲間が、その鉛筆のようなものに次々と触ったり、眺めたりした。そのうちの2人(AとE)は、その部屋に泊まった。その後4日間、この部屋には数人の仲間が何回か出入りした。
この造船所では、放射線を利用して製品検査を行う非破壊検査が行われていた。この検査に用いる強力な放射線源であるイリジウム192(5.3Ci,1.63E12Bq)が紛失していることがわかり、懸命に探したが見つからず、科学技術庁(当時)にそのことを届けでた。
Bがステンレス製の鉛筆のようなものを拾ってから1週間後、彼の下宿でそれを触った仲間の1人が、自分たちの触った鉛筆状の奇妙なものがこの線源ではなかったかと探したところ、下宿の庭に落ちているのを発見した。この線源は強力なガンマ線を放射するので、触ったり近くにいた人に放射線急性障害を引き起こし、この6名(年令:20才~30才)は検査のため千葉市にある科学技術庁放射線医学総合研究所(放医研(現独立行政法人放射線医学総合研究所))に入院した。
(中略)
3.急性放射線障害急性障害の全身症状としては、最も被ばく線量の大きかったAだけが、被ばく1日目に食欲不振と吐き気におそわれたが、これは急性放射線症の症状のひとつである(表2)。次に骨髄での造血障害を詳しく調べると、数人に白血球の減少等の造血障害があった。
最も強い症状はAだった。第2週から第7週にかけて、貧血、白血球および血小板の減少がみられ、軽い出血傾向の増大がみられた。
皮膚障害では、線源を持ち帰ったBと比較的長時間触れていたAには、線源が触れた部分に26~91Gy(グレイ)程度の被ばくを受けたと考えられ、9月末から痛みの強い紅斑や水泡ができた。
線源が臀部(でんぶ)にあたったBには臀部に大きな潰瘍(かいよう:皮膚粘膜層において深部まで及んだ表面の欠損)と壊死(えし:生体の局所組織または細胞の死滅)が生じた(図2)。
(図2)
生殖器では全員に造精障害がみられた。線源をベルトにぶらさげたBは睾丸に1.75Gy程度の放射線を浴びたことになり、一時的な無精子症になった。
外部被ばくによる障害の場合、被ばく直後にははっきりした症状は出現しない。しかし、ある程度以上の放射線を全身に受けると、感染に対する抵抗力が落ちたり、出血しやすくなる。
①、Aには典型的な症状があったので、心身の安静、栄養補給、感染防護等の一般処置を行いながら、特に
無菌室に収容して、抗生物質の投与も行った。その結果、Aは最も白血球の減少した時期にも感染することなく、順調に回復過程に入った。さらに、皮膚障害に対しては
局所の感染防止に主点をおいて治療したところ、順調に回復した。
②、困ったことに、
Bの場合は、右手の指が瘢痕(はんこん:組織の欠損補充にあたって再生した結合組織(内芽組織))萎縮を起こして伸びなくなった。日常生活に不便なので、
2回にわたって東大形成外科で手術し、腹壁の皮膚を移植した結果、指が曲がるようになった。その後、全員が急性放射線障害から順調に回復し、1972年3月までに全員が退院した。4.後発性障害事故後9年目までは、B、A両名の皮膚障害は瘢痕以外の異常は認められなかった。
その後Bの右手は潰瘍と糜爛(びらん:皮膚または粘膜層における比較的表面の組織欠損。さらに深部にまで及んだときは潰瘍という)が繰り返し生じ、右第1指(親指)、第2指(人差し指)の拘縮(こうしゅく:関節の固着)と骨の萎縮が始まった(図3)。
(図3)
さらに、1993年には、病原菌による感染と疼痛が現れ、この2本の指を切断せざるを得なくなった。病理学的検査の結果、血管の萎縮によることがわかった。
以上引用終わり。
工員Bさんの最初の状態から、指切断まで。 離れていれば中程度なガンマ線に被爆するだけですが、手に持ったり服のポケットに入れたりしたので高線量β線とガンマ線に被曝したと考えられます。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇77イリジウムIr192→β崩壊→78プラチナPt192
または
77イリジウムIr192→電子捕獲→76オスミウムOs192
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇下は福島原発事故で漏れた水の中に浸かって作業して、長靴の中に水が入り被曝した下請け作業員の方の写真
ベータ線熱傷と発表されましたが、当然ガンマ線や長靴の中に入ったアルファ線各種が靴下に染み込んでいますからアルファ線にも被曝しているはずです。
千葉市の造船所作業員の方と似たような経過をたどると考えられます。以下は
ブラジル国ゴイアニア放射線治療研究所からの
セシウム137盗難による放射線被ばく事故(09-03-02-04)からの引用です。
<概要>1987年9月、ブラジル国ゴイアニア市で、廃院となった放射線治療医院からセシウム137線源が持ち出されて廃品回収業者の作業場で解体され、セシウム137による広範な環境放射能汚染と多数の人々の被ばくが生じた。汚染された者の数は249人(同年12月まで)、被ばく線量は0.5Gy以上約70人、1Gy以上21人、4Gy以上8人であり、死者は4人であった。
<本文>
1.背景と経緯ゴイアニア市(Goiania)はブラジルの首都ブラジリアから南西約250km離れたゴイアス州にあり、人口約100万人の農畜産物集積(大豆、牛肉など)都市である。1987年9月、この市の廃院となった民間放射線治療クリニックの建物(図1)の中の放射線治療装置から
セシウム137の入った回転照射体が、取り外して持ち出され、市内にある廃品回収業者の作業場で分解された。この放射線治療装置は1971年6月にイタリアから輸入され、線源はセシウム塩化物(CsCl)で、指向性を良くするためレジンを混ぜ、米粒大にまとめたものを治療用装置に充填したもので、米国オークリッジで製作された。重量93g、体積31立方センチメートル、事故当時全放射能は50.9TBq(1375 Ci)であった。
1987年、この医院の移転により業務を止めたが、セシウム照射装置はそのまま廃院に残されていた。持ち出されたセシウム137は青白く光る粉末で極めて水に溶けやすく、散らばりやすい状態で、業者の家族、親戚、隣人が好奇心から自宅に持ち帰ったり、また作業場から風雨や人、動物を介して、汚染地域が拡大した。
この事故が起こったのは市の中の貧しい区域で、汚染された範囲はおよそ 図2に示す通りである。
2.事故の状況2人の若者(22才と19才)が、この廃院のスクラップから価値があるものと思い、照射装置を分解して、回転照射体(線源)を自宅に持ち帰った(9月10~12日)。
回転照射体を取り外した段階から2人の放射線被ばくが始まり、2~3日後から2人は下痢、目まいなどに悩まされ始めた。1週間後には線源容器に穴を開けることに成功し、この時点から放射能汚染が始まった。ここで2人はこれを廃品回収業者に売り払った(9月18日)。
業者は暗いガレージの中で線源の粉末が光っているのに気付き、家の中に運び込み、その後数日にわたって家族、親類、隣人が、これを眺め、手を触れ、体に塗ったりした。
作業人とその家族全員の体の調子が次第におかしくなり、その内の1人(廃品業者の妻)が、青白い粉に原因があると思い、線源をプラスチックバッグに入れて、ゴイアニア公衆衛生局に届けた(9月28日)。
風土病病院で患者を診察していた医師は、症状から放射線障害の疑いを持ち、市の公衆衛生部と州の環境局に連絡した。
その結果、医学物理学者が鉱物探査用の放射線測定器(仏製:SPP2NF)で測定して、放射線被ばく事故が起こっていることが明らかになった(9月29日)。
これは線源が持ち出されてから17-19日後のことである。(持ち出された日は正確に判っていない。)
3.被害の大きさ
(1)急性障害選別検診の結果、20人が入院治療が必要と診断され、14人がリオデジャネイロ、6人がゴイアニアの病院に入院した。体内セシウム排せつのため
プルシアン・ブルー(Prussian Blue)※が投与され、また被ばく線量推定のためにリンパ球の染色体異常の頻度が調べられた。
4人が入院後(リオデジャネイロ)4週間以内に出血や敗血症などの急性障害で死亡したが、その線量は4.5-6Gyと推定された。
死亡者は、6才の少女、38才の女性、22才、18才の男性である。同程度の被ばく線量で2人が生き残った。
また1名は腕半分を切除された。2ヶ月後には11人の入院患者は全員ゴイアニアに転院し、退院までずっと放射能排せつ促進剤を投与された。
(以下略)
以上引用終わり。
※素人が使うとかえってセシウムを吸着したプルシアンブルーが肺の奥深くに沈着して危険だとされています。
以下は
1. A Glittering Powderからの引用です。
Cesium-137 was inside this little capsule,” said Robert Alves in front of a painting which depicts the disaster.
His right arm was amputated and appears to cause him pain.
「
セシウム-137は、この小さいカプセルの中にありました」と、被爆事故を表す絵の前のロバート・アルベスは言いました。
彼の右腕は切断されて、彼に痛みをもたらすように見えます。
以下は
Goiania Radiation Accidentからの引用です。
This woman has burns from the Goiania accident which took place in late 1987.
249 people were exposed which occurred when a junk yard dealer in the city of Goiania broke open an abandoned radiation therapy machine and removed a small highly radioactive cake of cesium chloride.
Attracted to the bright blue color of the substance, children touched it, rubbed it on their bodies and in one case, ingested it.
Several blocks of the city had to be razed due to contamination.
1987年後半に起きたゴイアニア事故から、この女性には(このような)火傷があります。
ゴイアニア市の廃品回収業者が捨てられていた医療放射線治療器を壊すように開いて1個の非常に小さな放射性塩化セシウムを取り出したときに、249人の人々と共に被爆しました。
その一つの容器の出す明るい青い色に引きつけられた子供たちは、それに触り、体の表面をこすったことで被爆しました。
都市の数ブロックは、汚染により破壊されなければなりませんでした。
以上引用終わり。
Wikipedia
Goiania accidentも参照の事(英語版)。
1. 無題