□古代イスラエルの失われた10支族
ルベン族
シメオン族
ダン族
ナフタリ族
ガド族
アシェル族
イッサカル族
ゼブルン族
ヨセフ族
エフライム族
マナセ族
失われた10支族とは、古代イスラエル12部族のうちユダヤ民族の直系の祖のユダ族・ベニヤミン族・レビ族 を除いたものをいう。(タコ注 北イスラエル)
南王国ユダの2支族とはユダ族・ベニヤミン族で、これにレビ族を加えた3部族がユダヤ民族の直系の祖となったとされる。
実際には南王国には2部族でなく3部族が存在したわけだが、上記の通りレビ族は数えないのが慣例であるため「2部族」と呼び習わしている。
ただし『歴代誌』によるとバビロン捕囚から帰還の時点でエフライムやマナッセの各部族は残存しており、エルサレムに住み着いたという。
彼らの系譜は書かれていないが、同書の下巻にユダがアサ王統治下の頃、「ユダとベニヤミンのすべて、および彼らとともに住んでいたエフライムとマナセとシメオンの人々」というくだりがあるので、この頃にはすでにユダに上記の2部族とシメオン族もいたということになる。
なお、バビロン捕囚から帰還後は、多数派のユダ族と祭司としての役目を任されたレビ族以外は各部族としてのアイデンティティを失い、ユダ族に同化されたらしく、これ以後は「ユダヤ人」、「レビ人」という言い方は残っているが他の部族の呼称が出てこなくなる。
なお、『列王記』では南北分裂のきっかけになったとされる預言者アヒヤの「あなた(ヤロブアム)に10部族を与えよう。彼は(中略)1つの部族をもつであろう[24]。」
「その10部族をあなた(ヤロブアム)に与える。その子には1つの部族を与えて[25]」という説明や、同書の第12章第20行でも「ユダの部族のほかはダビデの家に従う者がなかった」という説明のくだりから、そもそも分裂は「10と2」ではなく「10と1」であったことが分かる。
□失われた10支族の行方
以下に挙げる4説は伝承または仮説として立てられたもののうち、イスラエル政府によって比較的有望とされた説であるが必ずしも10支族だけを問題とした説ではない。
また、いずれも通説には至っていない。
一部はアフガニスタンに。パシュトゥーン人には、ヨセフ族(エフライム族+マナセ族)の末裔という伝承をもつ部族がいる。10支族はメディア(今のイラン)を経由して東に逃れたという説があり、その地はスキタイ人と同系のサカ族または月氏族が居住し、現在のアフガニスタンの一部を含むものであった。
一部はエチオピアに。イエメンを経由して、ヨセフ族(マナセ族、エフライム族)がアフリカに入ったもの。イスラエル建国後にエチオピアから相当数が移住したが、それ以前には多くのユダヤ人が居住していた。
一部は中国に。宋代まで開封にはユダヤ人の街が存在した。また中国の回族のうち、かなりの部分が古代ユダヤ人の末裔が改宗したものではないかという説もある。(開封のユダヤ人参照。)
一部は日本に。詳しくは、日ユ同祖論を参照。
大陸からの帰化氏族である秦氏が古代イスラエル人の失われた10支族ではないかという説。一時は国際的にも有名だった説である[28]。失われた10支族のうち、第9族エフライム族、第5族ガド族、または第7族イッサカル族の数人が、日本に移住したという説がある。
なお、日ユ同祖論でいうユダヤ人とは、有色人種としてのユダヤ人(セファルディム)を想定したもので、当時の古代イスラエル人は有色人種であったとされ、白人ユダヤ人(ヘブライ語でドイツを意味するアシュケナジム)は8世紀頃、ハザール人のユダヤ教への改宗によってユダヤ人を名乗ったのではないかという説もある。
ユダヤ人に多いY染色体ハプログループJ系遺伝子は白人にも有色人種にもみられるため、イスラエルの氏族に白人系と有色人系があったのではないかという説もある。
以下に挙げる7説は学術的な検証という意味では上記の説以上に問題があるとされるが参考までに列挙する。
一部はインドのカシミール地方に。カシミール地方にキリストの墓[29] とモーセの墓と言われるものがある。
一部はインド東部に。マナセ族の末裔と称するブネイ・メナシェという人々がいる。
一部はミャンマーに。
一部は朝鮮 に。
「日ユ同祖論」の一種であるが、富山県には塩谷(しおんたん=シオンの地)という地名が残されており、周辺住民の顔は日本人よりも彫りが深く目が鋭い人達がそうでないかと言われた(富山では谷を「タン」と読み、「ヤ」と読む場合は屋の字に置き換えられている。
県東部にはアイヌや朝鮮・中東の言葉も見受けられる)。
また、かつて北海道の先住民族アイヌ人は、周囲の諸民族とは異なるヨーロッパ人的な風貌のために、古代イスラエル人の末裔だと思われていたこともあった。
一部はイギリスに。経緯不明のユート人はエフライム族、またはダン族であると言う説。
一部は新大陸(アメリカ)に。ミシシッピ文化を作った民族・マウンドビルダーはアメリカ先住民の祖先であることが明らかになっているが、19世紀にはマウンドビルダーの正体は謎であり、アメリカに渡った10支族がこれらの遺跡を築いたマウンドビルダーなのではないかとする説もあった。日ユ同祖論と同じガド族である。