tacodayoのブログ

ヨハネの黙示録に預言された時代に生きる現代人に必要な情報を発信していきたいと思います。

悪魔の造ったイスラエル

コチラコチラに残っていた記事から復活です。

以下は
ナチスとシオニストの協力関係関
からの引用です。

■ 同化主義ユダヤ人と異化主義ユダヤ人の対立

●シオニストたちが最も恐れていたこと、
それは反ユダヤ主義者たちの策動ではなくて、むしろ、
世界のあちこちに散らばっているユダヤ人たち(ディアスポラ)
が彼らの民族としてのアイデンティティを失って、
それぞれの住む国家社会に「同化」してしまう、ということだっ た。

●金沢大学教授で中東現代史専攻の前田慶穂氏は、
『ユダヤ人とは何か/ユダヤ 人1』という本の中で、
ナチスとシオニ ストの協力関係を指摘している。
「ナチ党が政権を獲得した直後の1933 年、
『世界シオニスト機構』の議長代理だったユダヤ人ヨアヒム
・プリンツはこう書いていた。
『強力な勢力(ナチス)が我々の支援に訪れてくれ、
我々を改善してくれた。同化論は敗れた』と。」

●このナチスがユダヤ人の組織を「支援に訪れた」とは、
意外も意外の表現だが、これには切実な理由がある。
当時のユダヤ人社会の中には、西欧文化に「同化」しよう
とするユダヤ人と、「異化」してイスラエル共和国の建国を
めざすシオニスト・ユダヤ人との対立があった。
狂信的な「異化」論者のシオニスト・ユダヤ人にとっては、
「同化」論者のユダヤ人こそが、打倒すべき当面の敵であったのだ。
だから、ユダヤ人全体の排斥を政策とするナチスは、
「敵の敵は味方」という戦国の論理で、「味方」に
位置づけられたのだ。

●実際、第二次世界大戦が起こる前、ユダヤ人の大半は
シオニズム運動に無関心であった。 これは数字にも表れている。
1880年から1925年の間に、アメリカへ移住したユダヤ人400万人に対し、パレスチナへの移住者はたった15万人しかいなかった。
当時、西欧や東欧のシオニストたちが提唱するようなユダヤ国家建設に興味を示すユダヤ人は少数グループであった。
ユダヤ人の大半は、ユダヤ国家建設など、あまりにも現実離れしすぎた妄想的計画だとみなしていた。
それよりも自分たちが住む国家社会に「同化」することのほうが大事だと思っていた。
(中略)
■ 同胞を裏切ったシオニスト・ユダヤ 人

●ユダヤ人のベン・ヘクトが、1961年に書いた
『裏切り』は、第二次世界大戦中にシオニストたちが、
同胞ユダヤ人の抹殺にどれほど協力したかをあからさまに
暴いたものである。

彼の証言によるとシオニストはヨーロッパの正統派ユダヤ教徒
(同化主義ユダヤ人含む)を犠牲の生け贄にしたという。
狂信的な「異化」論者のユダヤ人たちは、同胞である正統派
ユダヤ教徒を裏切ってイスラエル共和国を建国したと告発しているのだ。

彼の主張によれば、これらシオニスト指導者たちは、
前もって同胞の虐殺が行なわれる時期、方法、場所を知っていたが、
犠牲者たちに警告することを拒んだ。なぜなら彼らの関心事は、
ユダヤ人を1人でも多く救うことよりも、
パレスチナにイスラエル国家を建設することの方に
向けられていたからだという。

ベン・ヘクトは語る。
「エルサレムやロンドンやアメリカの臆病なユダヤ・ロッジの
メンバーたち……これらのシオニスト指導者たちは、抗議もせず、
ただ無関心に、彼らの何百万人の同胞が焼かれ、首を絞められ、
吊り下げられるのをそのままにしていた。」

以上引用終わり。

こうして、
シオニスト・ユダヤ人は
ナチス・ドイツと組んで、
同胞ユダヤ人を迫害、抹殺していきます。


以下は
ベラスコの告白 ― 広島原爆はナチス製だった
からの引用です(要全文参照)。

実は、ナチ(NAZI)という語は、ヘブライ語 で、
ユダヤ人らの言葉であり、ドイツ語ではないのだ。
民族主義の気運をドイツ国内に作り出したのは
ユダヤ系ドイツ人らであった。
(中略)

一般に、「ナチ(NAZI)」という呼称は、当 時の政敵、
後には連合軍が使った蔑称であると説明されている。
しかし、別の裏情報によると、 「ナチ(NAZI)」の本当の意味は、
「国際シオニスト連盟
(National Association of Zionist International)」
だという。

以上引用終わり。

コチラ
以下は
『イルミナティ 世界を強奪したカルト』
からの引用です。
◇生贄であり供物であったホロコーストの犠牲
サバティアン(=ユダヤ教サバタイ派信者)の陰謀は、人目に触れる場所に隠されている。
例えば「ホロコースト」という言葉の本当の意味を知る人はほとんどいない。
ラビ=アンテルマンによると、
第二次大戦よりはるか以前には、
この言葉は生贄(いけにえ)として捧(ささ)げる
「丸焼きの供物(くもつ)」を意味していた。
彼はブルーノ・ベテルハイムのこんな言葉を紹介している。
「最も冷酷で、残虐で、おぞましく、
憎むべき大量殺戮を“丸焼きの供物(ホロコースト)”と呼ぶのは、
神と人間を汚すことに他ならない。」
(それでは)“ホロコースト”は
いったい誰のための生贄で、何の
目的で捧げられたというのだろう?
サバティアン(=ユダヤ教サバタイ派)のオカルトの風習がからんでいることは間違いない。
いずれにせよ、この言葉を使うたびに、私達は無意識に彼らの供犠(きょうぎ)に加わっていることになる。
同じくラビ=マーヴィン・アンテルマンによると、サバティアンはユダヤ人を憎悪し、根絶やしにすることを目指していた(!!)と言う。
ラビ(=ユダヤ教の教父)たちは1750年の時点ですでに、サバティアンを阻止しなければユダヤ人が滅ぼされると警告していたと言う。
しかし、実際にヨーロッパのユダヤ人殲滅(せんめつ)を防ごうとする人々が現れたとき、
「(アメリカの)保守派や改革派のコミュニティーは楽観的に考えてこれらの動きを無視した。米国ユダヤ人会議や米国ユダヤ人委員会、ブナイブリスなどのいわゆる主流派組織はほとんど何もしなかった。」
サバティアンは悪魔セクト内部の相手としか婚姻関係を結ばないが、富裕な有力者の非ユダヤ教徒とはしばしば結婚した。現存する4代目男爵(バロン):ジェイコブ・ロスチャイルドの母はユダヤ人ではなかったし、彼の妻もユダヤ人ではない。
(中略)
人類は邪悪な悪魔カルトに手綱(たずな)を握られている。このカルトは強大な権力と奸智(かんち)を備え、人類に挑んでいる戦争を自然かつ必然的なものに見せかけることが出来る。
計画の存在が世間に漏れても、人種差別の言いがかりで、常識のある人間なら信じたりしないと言い抜けてしまう。そして人々の目をポルノに向けさせ、その裏で警察国家の樹立を進めているのだ。西側社会のモラルは崩壊した。政治と情報と文化は、複雑に張り巡らされたカルトの人脈によってコントロールされている。ほとんどの国の指導者は、彼らに利用されているか私達を裏切っているかのどちらかだ。知識層は彼らに買収され、大衆は他のものに気をそらされて何も知らぬままに日々を過ごしている。
ほとんどの国家や宗教がそうであるように、ユダヤ人も内部から崩壊させられた。シオニストはサバティアンの手駒に過ぎず、「ホロコースト」を利用してイスラエルを建国した神(あくま)の黒幕はサバティアン(=ユダヤ教サバタイ派)である。
サバティアンの祖国を作るため数百万人のユダヤ人たちが「生贄」にされ、悪魔に「丸焼けの供物」として捧げられたのである。
(中略)
―ユダヤ人が目覚めるべき大義とは?-
サバタイ・ツヴイの後継者ヤコブ・フランク(1726~1791)は、イルミナティの陰の実力者ロスチャイルド家と手を組み、表向きは「ユダヤの内部規範やゲットーの呪縛からの解放」をうたったユダヤ改革・保守派を形成した。彼らはユダヤ人に、同化や非ユダヤ人との婚姻、改名、さらにはキリスト教への改宗を奨励(しょうれい)し、厳選した人々にキリスト教文明を内部から崩壊させて悪魔の計画に協力するように指示した。
(中略)
自身もユダヤ人である作家のディートリッヒ・ブロンダーは、1964年の著書『ヒトラーが現れる前(Before Hitler Came)』において、
ヘス、ゲーリング、シュトラッサー、ゲッペルス、ローゼンベルグ、フランク、ヒムラー、リッペントロップ、ハイドリッヒをはじめとする多くの人物が皆、ユダヤの血を引いていると主張している(ヘネッケ・カーデルHennecke Kardel

[著]『イスラエルを作ったヒトラー(Hitler Founder of Israel)』より)。
1930年代にはユダヤ人とドイツ人の婚姻率は60%に上っており、そのような状態がしばらく続いたと思われる。純粋なユダヤ人よりもはるかに多くのユダヤ系がおり、ナチスの軍隊には15万人もの混血児(ミシュリング)がいたのである。
「ユダヤ人は歴史上オカルトと戦ってきた。申命記をはじめとする旧約聖書の記述を読めば、神がユダヤの民を通じてオカルト集団が活動していた土地を浄化しようとしていたことが分かる。バールやアシュタルテ、その他のカナンやバビロンの神々を崇拝していた人々だ。」<>ユダヤ人は今こそこのような民族の歴史を掘り起こし、かつての大義に再び目覚めるべきだろう。
ユダヤ教は悪魔を崇拝する異端の流れによって変容させられてしまった。
これらの悪魔主義者はイルミナティに属し、他のユダヤ人を憎んでいる。恐らく、ユダヤ人が神の道徳性を象徴する存在だからだろう。あるいは、単に、彼らが下層民だからかもしれない。イルミナティが長期的に目指しているのは、人類を神の目的から踏み外させ、高度なマインド・コントロール(マスメディアや「教育」、「性の解放」、移民、多様性などのスローガン)で隷属(れいぞく)させることである。
(中略)
◇ヒトラーを狂人化した洗脳タヴィストック機関
グレッグ・ハレットの『ヒトラーは英国スパイだった(Hitler Was A British Agent)』では、戦争はオカルト魔術師が呼び起こした残酷な幻覚であり、その目的は人類を堕落させ、最終的に世界政府の奴隷にすることだとしている。 

ヒトラーが「英国の」工作員だったというハレットの主張は、元諜報部員の怪しげな組織の証言に基づいている。
(しかしながら、)ハレットは証拠書類こそないが、説得力のある状況証拠を提示している。
たとえば、アドルフ・ヒトラーは1912年から1913年まで英国に滞在しており、その事実は彼の義姉の著書『ブリジット・ヒトラーの回想録( The Memoirs of Bridget Hitler)』(1979年)によって裏づけられている。
しかし、
ヒトラーの伝記作家ジョン・トーランドをはじめ、
 多くの歴史家がこの驚くべき事実を無視
してきた
(もしハレットが正しければ、トーランドのような歴史家はヒトラーについて不都合な事実を削除し、彼を大物に仕立て上げたという罪を犯したことになる)。
ハレットによれば、ヒトラーは1912年2月から11月まで、デブォンン州タヴィストックの英国軍心理作戦訓練学校とアイルランドで洗脳の訓練を受けていた。
(中略)
パレットの主張は、第二世界大戦における数々の不自然な出来事を浮かび上がらせる。
たとえば、
ヒトラーはなぜダンケルクで33万5000人の連合軍兵士を追撃せず、撤退を許したのか
この非現実的な命令は寛大な和平工作として説明されているが、もしその軍隊をナチスがその捕虜としていたら、英国はその後の戦闘でもっと従順だったはずだ。
1940年5月のナチスの勝利は、第2ラウンドでのKO勝ちのようなものだった。イルミナティはその戦争をそれほど早く終わらせるつもりはなかったし、ナチスに勝たせるつもりもなかったのだ。
英国が劣勢にあった1940年夏、ナチス情報部長官のヴィルヘルム・カナリス海軍大将はルーマニアの外相プリンス・ミヘル・ストウルザに、
戦争に勝つのは英国なので
中立を守るように

と言った。
彼はこのメッセージをスペインの独裁者フランコにも伝えた。
(ヒトラー暗殺計画に加担し1944年4月に
処刑されたヴィルヘルム・カナリス
(中略)
ハレットの仮説は次のような疑問に答えている。
(一)なぜヒトラーは報復を恐れることなく、ラインラントなどへ拡大できたのか?
(二)なぜナチスの軍事機構はイルミナティに支配されたイングランド銀行英米企業の有力者から資金援助を受け、構築されたのか?
(三)なぜヒトラーはジブラルタル地中海を封鎖しなかったのか? そしてなぜスペインの独裁者フランコはスペイン内戦でナチスに巨額の借金をしていたにもかかわらず、中立を守ったのか?
(四)なぜIGファルベンのフランクフルトの本社は爆撃されなかったのか?(この建物は戦後CIAのドイツ本部となった)

(五)なぜイングランド銀行はプラハを占領したヒトラーに対して、ロンドンに預託されていたチェコの金準備を与えてそれに報いたのか

それはヒトラーがなぜ戦争に勝つことよりも、おろかな人種政策を優先させたのかという疑問にも答えてくれる。
彼はソ連を倒すために何百万人ものスラヴ人やユダヤ人〉の協力を得ることもできたはずだ。
にもかかわらず、ヒトラーは彼らを和解しがたい敵にした。
(中略)
-ロスチャイルドの血縁者・ヒトラーとは何者だったのか-
何よりも不自然なのは、オーストリアの浮浪者であり、清掃作業員であり、男娼であった男がドイツの首相になれたということだ。ヒトラーは卑しい身分でありながら、目に見えない力を借りて、一躍世界に名を馳せた者たちの一人で、恐喝されてもおかしくない人物だ。
アドルフ・ヒトラーの祖母は、ヒトラーの父、アロイスを
身ごもった際に、ウィーンのロスチャイルド家との雇用関係を断っている。
(中略)
グレッグ・ハレットは著書『ヒトラーは英国スパイだった※ Hitler Was A British Agent』で、ヒトラーの祖父が
ネイサン・マイヤー・ロスチャイルドであると記している

ヒトラーの祖母マリア・シクルグルーバは、ロスチャイルド家のウィーンの屋敷で女中をしていた時、
悪魔崇拝の儀礼強姦”によって「恐怖の内に」、ヒト ラーの父アロイスを身ごもった。
    参照 1 2 3 4 5

ヒトラーの義理の姉のブリジット・ヒトラーは、
ヒトラーの実妹パウラのこんな言葉を引用している。
「(アドルフが)人種政策を始めてから、アドルフと私には
祖父がいないの。望めば誰だって、そこから美味い取引が
出来るはずよ。」 (以上『ブリジット・ヒトラーの回想録』 より)
アドルフ・ヒトラーの妹、
パウラ・ヒトラー(左)とヒトラーの恋人マリア・ライター(右)
ネイサン・マイヤー・ロスチャイルドの息子、アロイス・ヒトラーは姪のクララと三度目の結婚をし、彼女がヒトラーの母親になった。
ロスチャイルド家は一族の間でしか結婚できないため、匿名の工作員として働く非摘出子(ひてきしゅつし)をつくった(これはイルミナティの定法【パターン】のようだ。あくまで噂の域を出ないが、ビル・クリントンもロックフェラー家の人間だと言う巷説【こうせつ】がある)。
ヒトラーの祖母は、恐らく彼の祖父の仲介者だったユダヤ人実業家から養育費を貰っていた。
父親は虐待的で、母親は過干渉だった。18歳で母を亡くし、極貧となったヒトラーは、同性愛者のたまり場だったウィーンの男性用宿舎で暮らした。
ドイツの歴史家で教授のロータル・マハタンによれば、ヒトラーはミュンヘンとウィーンの両方で男に嫌がらせをしたという長い前科を持つ同性愛者だった。こうした調書はロシアと英国にも届いたが、それが宣伝に使われることは一度もなかった。
これはその戦争が茶番だった可能性を示すさらなる証拠である(マハタン『ヒトラーの秘密の生活』)。
-ことごとく達成されたイルミナティの野望―
歴史はイルミナティの長期計画に従って展開している。戦争は何十年も前から画策され、権力と富の獲得はもちろん、国家や生来のエリートたちの破滅、人口減少、士気喪失を成し遂げるために着々と組織されている。
ハレットによれば、スターリンもイルミナティの「戦争工作員」であり、彼は1907年にタヴィストック心理作戦訓練学校へ通った。クリフォード・シャックはスターリンがロスチャイルド家の非嫡出子であったともほのめかしている。
(ヨシフ・スターリン)
ハレットはヒトラーの死が偽装で(替え玉が殺された)、彼はバルセロナヘ逃れ、1950年に胃癌で死ぬまでその地で暮らしたとしている。
グレッグ・ハレットは異瑞児で、まとまりのないその著書は残念ながら重複と脱線に満ちている。今のところ、私はパレットの主張を全面的に信用するつもりはない。
しかし、彼は強引とも言える一方で、一般的な認識よりももっともらしい歴史観を提示してくれた。それを受け入れるか、拒否するかは私たちの自由として(いわゆる「判断の保留」)、様々な推論的見解を検討してみるべきだ。
第二次世界大戦はイルミナティの目的をすべて達成した。ドイツと日本は焼け野原となった。
ホロコーストはロスチャイルドの世界政府の拠点をイスラエルに確立する動機をユダヤ入に与えた。両陣営の理想家や生来の指導者たちは虐殺された。国々は借金を負わされた。国連は灰の中から不死鳥のごとく蘇った。ヒロシマは世界に恐怖の暗影を投げかけた。ソ連は超大国となり、東欧を支配した。そして冷戦という次なる幕に向けた舞台が整った。
人類のこうした暗い展望を受けて、ヒトラーを中央銀行家の覇権への反対者として理想化する向きもある。
しかし、パレットの本は、ヒトラーもまたスターリンや毛沢東と同じく、工作員だったことを思い出させてくれる重要な資料だ。イルミナティは紛争を煽り、人類をそれに捕らわせておくために「敵」を支援するのである。
(中略)
以上引用終わり。

以下は
アドルフ・ヒトラー、「祖父はユダヤ人と暴露する」と甥からブラックメールを受けていた(リンク切れ)
からの引用です。

1930年代後半に、ヒトラーの甥が、
『ヒトラーの父方の祖父がユダヤ人の商人であった。』
事をメディアに暴露するとして、総統をゆすっていたという。

以上引用終わり。
「シオニストたちがナチス・ドイツがユダヤ人に対して行ったのと同様なことをパレスチナ・アラブ人に行うのを見るのは大変悲しい」ーアインシュタイン
 「ユダヤ人は語る:ガザを救え」
以下は
「キリスト教シオニスト」の実態
からの引用です。

●シオニズム運動とは、パレスチナの「シオンの丘(ZION)」
(=聖地エルサ レム)にユダヤ人の国家を公的に建設る事を
目標とするものである。

一般に、ユダヤ人テオドール・ヘルツルが、シオニズム運動の父として知られているが、広義の意味での“シオニズム運動”の本当の「創始者」ではない。
本当の創始者は、ユダヤ教徒ではなく、それより300年前のイギリスに住んでいたプロテスタント(タコ注:典礼的にはカトリックと全く同じです。単純に言えば離婚問題で破門されただけ。)
・キリスト教徒だったのである。

これは非常に重要なポイントである。

●キリスト教にもシオニズム運動は存在し、
ユダヤに劣るとも勝らない強烈なシオニズム信奉者が存在する。
そして、驚くべきことに、
現在アメリカのキリスト教シオニストとユダヤのシオニストは「同盟」を結んでいる。この同盟関係を知ると、
パレスチナ問題の根がより深いところに根ざしていることに気付く。
(中略)

●宗教改革以前は、全ての西欧キリスト教徒はカトリックで、聖アウグスティヌスその他が説いた「聖書の中には文字通りではなく寓意的に解釈すべき箇所がある」という見解を普通は受けいれていた。
例えば、
「シオンの丘(ZION)」は天国、あの世にあって、
我々全ての人間に等しく開かれており、
この地上にあってユダヤ人だけが住むべき場所ではないという考え方だ。
しかし、宗教改革以後、プロテスタント・キリスト教徒たちが唐突に「ユダヤ人は全てパレスチナへ移住せよ!」などという、およそ正統派キリスト教神学では主流になどなったことのない考え方を支持し始めたのである。
(中略)
そして、17世紀半ばまでには、
プロテスタント・キリスト教徒たちは
「ユダヤ人はすべてヨーロッパを離れてパレスチナへ帰るべきだ」
と断定する論文を発表し始めていた。

新たに確立したピューリタン共和国の「護国卿」となった
オリヴァー・クロムウェルは、パレスチナにユダヤ人が帰還すれば
「キリスト再臨」の序曲になると明言した。
(画像)
●1655年にドイツに生まれたプロテスタント・キリスト教徒、パウル・フェルヘンハウエファは『イスラエルヘのよきユダヤ知らせ』の中で、「キリスト再臨」の際には人はイエスを彼らのメシアとして受け入れるだろうと宣言した。
これを証明する前兆は、「神が無条件にアブラハム、イサク、ヤコブと交わされた約束で永久にユダヤ人に授けられた彼ら自身の国へ、彼らが永住覚悟で帰還することだ」と書いている。
(中略)

●また、児童労働者、精神異常者、受刑者らにもっと人間的待遇を与えることを主張する運動を起こして「偉大な改革者」として有名な第7代シャフツベリー 伯爵アントニー・アシュリー・クーパー卿は、1839年に「すべてのユダヤ人はパレスチナへ移住すべきだ」と書いた。

彼は『ユダヤ人の現状と展望』という論文を発表、「ヘブライ人種」のことを心配しているものの、非ユダヤ救国に
居住する以上ユダヤ人はいつまでも異邦人のままだという理由で彼らをヨーロッパ諸国で同化・解放することには反対したのである。

このクーパー卿は、「キリスト再臨」という「神の計画」でユダヤ人が枢要な役割を果たすと見ていた。彼の聖書解釈では、「キリスト再臨」はユダヤ人がパレスチナに移住し、そこにユダヤ国家を再建しないと実現しないと考えていた。
クーパー卿はすべてのユダヤ人をパレスチナに移住させるという「神の計画」を推進する上で神に手を貸すべきだと確信して、「ユダヤ人は頑固かつ陰険な連中だし、道徳的退廃、頑迷、無知のどん底に落ちて福音の何たるかも分からない始末だが、それでもキリスト教徒が救われる希望を左右する存在なのだ」
ということを、イギリス人同胞に叩き込むことを自分の課題にしていたのである。


●しかし困ったことにクーパー卿は、そもそもパレスチナに当時、パレスチナ人が住んでいるかどうかをわざわざ調べようとはしなかったし、自分のものでもない民族や土地を勝手にユダヤ人にくれてやることをまるで気にしていなかった。
あっさりとパレスチナの土地が獲得できると書いているのである。
彼の言葉を使うと、パレスチナは
「国のない民に与えられるべき民のいない国」
というわけだったのだ。

後にこの言葉はシオニスト・ユダヤ人によって、
「土地のない民に与えられるべき民のいない土地」という
言葉に作り変えられた。
(中略)

●ところが肝心のヨーロッパのユダヤ人たちは、自分らの住み
慣れた土地を離れてパレスチナに移住したがる者はほとんどいないか、皆無に近かったのだ!

以後150年間にわたってシオニズムを唱え続けたのは、
大半はイギリスで、むろん他のヨーロッパ諸国でもそうだったが、さらに後には驚くほどの規模でアメリカで、もっぱらキリスト教徒だったのである。
なかでもプロテスタント・キリスト教徒は、パレスチナはユダヤ人のものなのだから、ユダヤ人は全てそこへ移住し、異教徒と分かれて暮らすべきだと熱心に主張し続けた。

結局、1世紀半もの間、西欧帝国主義運動のリーダーたちであるキリスト教徒らは、このユダヤ不在のシオニズムにユダヤ人からの支持を得られなかったのである!(タコ注:というわけでプロテスタント発祥の地ドイツで、ユダヤ人迫害が大規模に始まったわけですね。(ToT) チャンチャン)


●レジャイナ・シャリフは『非ユダヤ人シオニズム』の中で、
キリスト教シオニストは敬虔さの背後に「政治的動機」を持っており、彼らにとってはこの動機こそ最初から宗教信念より遥かに重要だったと強調している。

●まあ、そんなことがあるにせよ、パレスチナにイスラエル共和国が建国された現在、シオニスト・ユダヤ人たちの多くは、初期のシオニズム運動においてプロテスタント・キリスト教徒がユダヤ人以上に熱心に行動してくれたことに
「感謝」しているのである。
イスラエル共和国の建国を達成できたのは、キリスト教シオニストらの手助けのおかげだといっている。

以上引用終わり。


イスラエル国内で迫害される  ユダヤ教正統派

以下は
イェドヴァブネの闇
からの引用です(リンク切れ)。

今からちょうど60年前、ポーランド北東部の小さな町、
イェドヴァブネで、ユダヤ人の大量虐殺が行われた。
約1600人のユダヤ人が、生きたまま焼き殺されたのである。
これまで、この虐殺はナチスドイツ軍によって計画され、
実行されたとされてきた。
ところが最近になって、実際に手を下したのは、
ドイツ軍ではなく地元のポーランド住民だったと言う
説が浮上した。 (以下略)

ポーランドのカトリック教会がユダヤ人虐殺事件で謝罪表明
からの引用です(リンク切れ。コチラへ)。

ポーランド・カトリック教会は2001年5月 27日、
第2次世界大戦中に同国北東部のイェドワブネで起きた
ユダヤ人虐殺事件に、ポーランド市民が加担したことを
初めて謝罪した。
同国のユダヤ人たちはこれを「重要な一歩」と評価したが、カトリック教会とユダヤ人社会との対立は依然として根強い。

以下は
戦後ポーランドのユダヤ人虐殺
からの引用です(リンク切れ)。

今回は、まだほとんど知られていない、
ポーランド人による先の大戦直後のユダヤ人迫害・虐殺について、
同様にほとんど知られていないポーランド人による先の大戦中の
ユダヤ人迫害・虐殺にも言及しつつ、ご紹介しましょう。
(中略)
ポーランド人もユダヤ人も、共にナチス ドイツによって
大きな被害を受け、とりわけユダヤ人はひどい目に遭ったの
ですから、ポーランド人はユダヤ人に同情し、暖かく接しても
不思議はありませんでした。ところが、実際に起こった事は
それとは正反対でした。

そもそも、ポーランド人は、ドイツに侵略された時には
ドイツに対し激高しましたが、ドイツによるユダヤ人虐殺には
ひそかに喝采を送っていたのです。
ロンドンのポーランド亡命政府もそうだったという傍証が
ありますし、占領下のポーランドでは、ドイツによる
ユダヤ人狩りに積極的に手を貸すポーランド人が続出しました。

また、ユダヤ人達がドイツ兵によってゲットーから駆り立て
られるや否や、彼らが収容所行きの列車に乗せられる前に、
ゲットーは待ち構えていたポーランド人群衆によって
掠奪の対象になるのが通例でした。
(中略)

ドイツが降伏した直後には、ポーランド小作人党は、
党大会において全会一致で、ヒットラーがユダヤ人を
虐殺したことに謝意を表するとともに、生き残った
ユダヤ人を追放することを決議しました。
ですから、戦後ポーランドに帰還したユダヤ人には
悲惨な運命が待ち構えていました。

早くも帰還列車の中で、ポーランド人達 によって
列車の外に投げ出されて殺されり、列車の中で殴り
殺されたりするユダヤ人が続出しました。
やっとゲットーに帰り着いたユダヤ人も、あらゆる場所で、
単独で、あるいは集団で殺戮されたのです。

以上引用終わり。

ドイツに占領されたポーランド領内にあった
アウシュビッツ強制収用所にあったとされるガス室は、
以上のようなポーランド人によるあるいは連合国側の、
またシオニストユダヤ人やローマカトリック、
シオニストプロテスタントの犯罪を隠すための
でっち上げです。

そもそもバルサンで
人が死にますか?!

つー、低レベルなお話です。

そりゃ、一酸化炭素の発生や二酸化炭素の過剰で無くなる場合は有りますが (-:⁠-⁠)
事故例


1905年、ロシアのエカテリノスラフにおける
ポグロムで犠牲になったユダヤ人の子供たち。

イスラエルの攻撃で傷つくパレスチナの子供たち
(写真は「シオニズム」を批判するユダヤ人たちから)

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