外れちゃうかも知れませんが。
なぜなら『その日は盗人のように来る』
24章36~44節とあるからです。
先に皇帝パルパティーンならず、
悪魔クロス大王が即位するのは
2060年12月25日
2+6+1+2+2+5=18
6+6+6=18
としましたが、
主イエスキリストの再臨の日
試しに私の誕生日で計算してみると
2064年7月7日
2+6+4+7+7=26
2+6=8
おおっとなりました。
7月7日は七夕の日ですね。
折しも現在の現場、七夕に所縁の深い機織り神社の近くです。
歩いて5分くらいです。
また、直ぐ側が○○7丁目交差点。
機織神社が大阪府交野市倉治1丁目1-7
私の仕事、頭文字がKT系の現場とSS系の現場が有るのですけど、KT系の現場七つ目。
おおおおおおーー!
なんという偶然
平安貴族が遊びに来たとき必ず参拝したという由緒正しく歴史の有る神社。
呼び寄せられたのかなーー。
うわー。
頭が冴え渡ってます。
初詣は仕事終わりでここに行ったんですけど。すっかり夜で。
宝くじ当たるの祈願したんですが見事に外れてたんですが。
あれ?ところで聖なる数字の7でないの?
いいえ8でいいんです。
https://kaiun.sseikatsu.net/number/
・中東から東洋にかけて「8」を幸運・富の数と考える事が多いです。
・古代メソポタミアでは「神」の数字。八芒星は神のシンボル。観測できる7つの星の他に8番目の星がありそこが神々の住む楽園と考えられていました。また八芒星は豊穣の女神イナンナ・イシュタルのシンボルです。
・インドでは8は富と豊かさを意味します。繁栄の女神ラクシュミーのシンボルです。
・インドでは幸運の数。蓮の花びらが8枚に描かれることが多いです。
・イスラム教では天国には8つの門がある。アッラーに仕える8人の天使がいると考えられています。
・中国では「富」を意味する数です。「八」の発音が「發財=財をなす」の「發」の発音に似ているので縁起の良い数とされます。
・易の八卦では8つのシンボルを使います。天・地・人を表す三つの線にそれぞれ陰陽があり2✕2✕2で8。これの組み合わせすべての自然現象を占うことができるとされます。
・古来日本では八は数に関係なく「大きい」「多い」の意味でした。神道で最も格式の高い拍手は「八拍手」です。
・日本では漢字の「八」は「末広がり」といわれ「発展する」「栄える」の意味があります。
・カバラのセフィロトでは「栄光」を意味します。
・キリスト教では黙示録の第8の王が「アンチキリスト(偽救世主)」のため、縁起の悪い数字とされることもあります。
https://kangaeruhito.jp/article/9871
伝統的には日本では「8」が縁起のよい「多数」を表わす数字です。
スサノヲのヤマタノヲロチ退治神話にすでに「8」がよく出てきます。ヤマタノヲロチは頭が八つで尻尾も八つの蛇の怪物です。そのヲロチに山の神アシナヅチとテナヅチの娘が食べられていくのですが、その娘の数がまた八人で、クシナダヒメが八人目でした。
そのクシナダヒメをスサノヲが救い、結婚した時に詠んだ歌が「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」で、8ばかり出てきます。
https://nipponblog.hatenablog.
com/entry/2019/02/07/195753
「八」は新しいスタートを意味する数です。
創世記21・4によると、アブラハムはサラが産んだ自分の息子をイサクと名付け、神が命じられたとおり八日目に割礼を施しました。そのため、すべてのイスラエルの男の子は、誕生八日目に割礼を受けるようになりました。イエスも誕生して八日たって割礼を受け、(ルカ2・21)新しい人生を始めました。
イエスは、週の八日目の日曜の朝に復活されました。八日目こそ、イエスを通して神と結ばれる人間の、新世代の始まりなのです。
山上の説教で神の国の新しい精神を宣言した「幸い」の数は八つで、「真福八端」としも知られています(マタイ5・1~11)。
八の数はキリスト教建築にも生かされているがとりわけ、新しい命を授ける式が行われる洗礼堂は八角形をしていることが多い。
https://toyokeizai.net/articles/amp/210644?display=b&_event=read-body
1. 8は整数のひとつ
2. ラテン語では「Octo(オクト)」
3. 「octo」、「oct」は8を表す接頭辞として使われている
4. 「octagon」(八角形)、「octagram」(星形多角形)、「octopus」(タコ)などがその例
5. 8人組、8重奏を「octet(オクテット)」と呼ぶ
6. 8倍、8重は「octuple」
7. Octoberは10月だが、ローマ帝国のカレンダーでは8番目の月だった
8. 正八面体からできる唯一の星形多面体は「Stella octangula(ステラ・オクタンギュラ)」。ヨハネス・ケプラーが発見した、最初の星形多面体といわれる
9. 八角形の内角の和は1080度
□縁起の良い数字
10. 古来より日本では2の立方である8はすべての方位や広がりを表わす数として好まれた
11. 漢字の「八」は末広がりの形をしているこ
12. 中国では、「8」の発音が「発財」(財を成す)の「発」に似ていることから縁起の良い数として好まれる
13. 中国ではビルの竣工式等のイベントは8のつく日に執り行なわれる
14. 旧約聖書の創世記でノアの方舟に乗って洪水を免れた人間の数は8人
15. 聖書のヘブライ語とギリシャ語をカバラ数秘術で数字に置き換えると、イエス・キリストは「888」となる
16. 8本の足をもつタコは、西洋では「デビルフィッシュ」「悪魔の化身」などと呼ばれ嫌われる
17. 漢字の「八」の字源は、左右にふたつに分かれている事物の象形文字とされている
18. 「分」は「八」と「刀」からなり、左右に刀で切る意味を表す漢字
19. 「米」の漢字が「八十八」から成り立つのは、田植えから収穫まで88の作業をするからという説がある
20. 80歳を祝う「傘寿(さんじゅ)」は、傘の略字「仐」が八十と分解できることに由来する
21. 88歳を祝う「米寿(べいじゅ)」は、「米」の字が八十八と分解できることから
22. 108歳は「茶寿(ちゃじゅ)」。「茶」の字を分解すると「十、十、八十八」となり、足して108となるため
八百万が無限に近い数を指すように
26. 日本では「八」は漠然と数が大きいことを表す語として使われている
27. 「八島」「八州」は古くからの日本の呼称(雅称)で「多くの島からなる国」の意味合いをもっている
28. 「八重桜」は花弁が何枚も重なっている桜の総称
29. 八重桜の品種「兼六園菊桜」はひとつの花の花弁が300枚を超え、菊の花のように咲くことで知られる
30. 「八十」「百八十(ももやそ)」「八百」なども数が大きいことを表わす言葉
31. 江戸の町の規模は「大江戸八百八町」と表現されるが、実際の町の数はその倍以上あった
32. 「八方」は四方に四隅を加えた8方位(北・南・東・西・北東・南東・北西・南西)
33. 「八方」は8つの方位に限らず「あらゆる方角・方向」を表す慣用表現としても使われる。「八方美人」「八方塞がり」などがその例
34. 「八つ当たり」の「八つ」も、「八方」と同様あらゆる方面を表わす
35. 「嘘八百」は「たくさんの嘘」=「まったくのでたらめ」を意味する慣用表現
36. 「八百長」は「八百屋の長兵衛」の略といわれる
37. 「四苦八苦」とは生老病死の「四苦」に愛別離苦・怨憎会苦・求不徳苦・五蘊盛苦を併せた人間のあらゆる苦しみ
38. 「七転び八起き」は、何度失敗しても諦めずに立ちあがることのたとえ
39. 「八雲」は幾重にも重なって見える雲のこと
40. 「八雲」は「和歌」の別称でもある。日本神話でスサノオが詠んだ「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」が日本初の和歌とされることから
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/104seisho.htm
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聖書の数学―その驚異
聖書のゲマトリア

キリスト復活後、弟子たちが主のお言葉通りに
網をおろしてみると、「153匹」もの魚で網がいっぱいになった。
聖書のヨハネの福音書に、復活後の主イエスが弟子たちに命じて、ガリラヤ湖で網を張らせ、そのとき「153匹」の魚が網にかかった、と記されている。
「シモン・ペテロが彼らに言った。『私は漁に行く。』彼らは言った。『私たちもいっしょに行きましょう。』彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。・・・・
イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。』そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。・・・・
シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった」(ヨハ21・3~11)。
イエスのご命令によって網をおろしてみると、「153匹」もの魚がかかったという。この数は、一見何の変哲もない数字に見えるが、この数字にはじつに深い意味が隠されているのである。
「153」は三角数
まず、「153」は、1~17までの整数を全部足した数である。
1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13+14+15+16+17=153
こうした数は、「トライアングル・ナンバー」(triangle number)または、「三角数」と呼ばれている。
三角数は、1から始まり、3(1+2)、6(1+2+3)、10(1+2+3+4)・・・・と続く。153は17番目の三角数である。

三角数
(153は、17番目の三角数である)
読者はボーリングをやったことがあると思う。ボーリングのピンは第1列目にピンが1本あり、2列目に2本、3列目に3本、4列目に4本並んでいる。
合計10本であり、これら全体が三角形を作っている。この後ろに、もし5列目として5本並ばせれば計15本、6列目として6本並ばせれば計21本となる。
しかし、全体の形はつねに三角形のままである。「三角数」の名は、これに由来する。次ページの表1は、三角数を表にしたものである。
じつは聖書の中、また聖書に関連した数として、三角数がよく出てくる。次のものはみな三角数である。
●神は唯一──1
●神の三位一体──3
●神が天地創造のみわざをなされ た日数──6
●カナの結婚式でイエスは、6つ のかめに入った水を全部ぶどう 酒に変えられた(ヨハ2・6) ──6
●イエスは受難の予告から6日の 後に変貌された(マコ9・2)――6
●「主の祈り」は6つの願いから 成る――6
●神はモーセに「十戒」を与えら れた。──10
●聖書巻頭の言葉、創世記1・1 「はじめに神が天と地を創造さ れた」を構成するヘブル語の文 字数──28
●聖書の書物数──66
●ペンテコステの日に二階座敷に 集まっていた弟子達の数(使徒 1・15)──120
●難破した船でパウロと共に救わ れた人々の数(使徒27・36) ──276
●ノアの箱舟の長さ(創世6・15) ──300(キュビト)
●患難時代の独裁者「獣」を現わ す数(黙示13・18)──666
●創世記1・1のヘブル語を数字 に換算したもの(後述するゲマト リア)――2701
これらはみな三角数である。そして、今私たちが見ている「153」も、三角数なのである。
「153」の特殊性
153は、三角数の中でも非常に特別である。いや、すべての数の中でも、非常に特別な意味を持った数である。
数学者は、たとえば1 2 3 4というように、連続した整数をかける場合、これを4!というように書く。すると、
1!=1 = 1
2!=1×2 = 2
3!=1×2×3 = 6
4!=1×2×3×4 = 24
5!=1×2×3×4×5=120
であり、
1!+2!+3!+4!+5!=153
となる。このように153は、非常にまれな数であることがわかる。
また、153を逆さまに読んだ351も、153と同様、三角数なのである。351は26番目の三角数である。

表1 三角数
153は数の3分の1を代表する
さらに153に関し、次のような数学的操作を施してみよう。
●153の各桁の数値は1、5、3である。これら各桁の数を3乗して、たす。すると、どんな数が出てくるか。
153→(1の3乗)+(5の3乗)+(3の乗)
=(1×1×1)+(5×5×5)+(3×3×3)
=1+125+27
=153
つまり、各桁の数字を3乗して足すと、もとの153に戻る。この「3乗」というのは、本誌が「立方体化」と呼ぶことなのであるが、なぜこのような作業をするかという詳しいことは、後述する。
ただここでは、幕屋の至聖所が立方体であったことにも見られるように、立方体は重要な神的象徴であり、「3乗」というのはそれにかかわっている、ということだけを述べておきたい。
「各桁の数値を3乗して足す」という作業を153に施すと、もとの153に戻ると述べたが、では、各桁の数字を入れ替えた場合──135、513、351などの場合はどうだろうか。
135 → (1の3乗)+(3の3乗)+(5の3乗)=153
513 → (5の3乗)+(1の3乗)+(3の3乗)=153
351 → (3の3乗)+(5の3乗)+(1の3乗)=153
やはり、153になる。これはすぐ理解できるであろう。
じつは、各桁の数字を入れ替えた場合だけではない。どんな数であっても、それが3で割り切れる数であれば、この作業を施せば必ず153に帰結するのである。
何でもよいから、読者は、3で割り切れる数を何か頭に思い浮かべてほしい。たとえば、33は3で割り切れる。99、273、12、14万4000・・・・これらは、みな3で割り切れる数である。
例として、99でやってみよう。99に、先ほどの「各桁を3乗してたす」――立方体化という作業を、4回施してみる。
(1) 99 → (9の3乗)+(9の3乗) =1458
(2) 1458 → (1の3乗)+(4の3乗)+(5の3乗)+(8の3乗)= 702
(3) 702 → (7の3乗)+(0の3乗)+(2の3乗) = 351
終 351 → (3の3乗)+(5の3乗)+(1の3乗) = 153
こうして、最終的な答えは必ず153になる。以後は、何度やっても153のままである。99だけではない。何でも153になる──3で割り切れる数なら。
たとえば、1080は3で割り切れる数だから、この作業を施すと153になる。途中の計算を省略して書くと、
1080→513→153
となる。そのほか375、2001、99999・・・・、たとえ何億という数であれ、どんな数でも3で割り切れる数であれば、この作業を施せば何回かの後に、必ず153に帰結する。
読者は電卓を出して、自分の思う数を思い浮かべて、これを確かめて欲しい。
「3で割り切れる数」ということは、じつは言い換えれば3つごとに153に帰結する数がある、ということである。つまり、すべての数の3分の1は、この作業を施すことによって必ず153に帰結する。
153は、すべての数の3分の1を代表するのである。
153は、復活後のイエスが弟子たちに網をおろさせて漁をさせたとき、網にかかった魚の数であった。かつてイエスは、弟子たちに言われた。
「あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」(マタ4・19)
網にかかった「153匹の魚」は、福音を信じて最終的に救われる人々を象徴していたのである。ゼカリヤ書にこう預言されている。
「全地はこうなる。──主の御告げ。──その3分の2は断たれ、死に絶え、3分の1がそこに残る。
わたしは、その3分の1を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民。』と言い、彼らは『主は私の神。』と言う」(13・8~9)。
最終的に、神の救いに入る人々の数は、全人類の3分の1なのである。あとの3分の2は、神への信仰を拒むために、自分の罪の中で滅びるであろう。

「わたしについて来なさい。人間を取る漁師にしてあげよう」。
ガリラヤ湖畔(カペナウム)
ヨハネの黙示録を見てみても、第六のラッパの時に「人類の3分の1」が死ぬ、と記されている(9・15)。あと3分の1は、疫病や、地震、戦争、独裁者「獣」による災い、その他で死ぬであろう。そして生き残る人々──クリスチャンの数は、全人類の3分の1と思われる。
実際、今日全世界の人口に占めるクリスチャンの数は、約3分の1であると言われている。
弟子たちの網にかかった「153匹の魚」は、これを象徴する数だったのである。
「153」のゲマトリア
さらに、次のことも重要である。
クリスチャンたちは「神の子たち」である。「神の子たち」というヘブル語のゲマトリア――数値研究を調べてみると、153であることがわかる。
「ゲマトリア」というのは、ヘブル語ないしはギリシャ語のアルファベットのそれぞれを数字に換算して、そこに意味があるかどうかを調べる研究をいう。
ヘブル語やギリシャ語のアルファベットは、表2に示したように、同時に数字としても使われる。
表2a ギリシャ語アルファベットの数値
1. スティグマは、ギリシャ語アルファベットにはないが、6として用いられる。シグマの語尾形に形が似ている。
2. コッパは、オミクロンの小文字と同じだが、今のギリシャ語アルファベットにはない。古い時代に90として用いられた。
3. サンプシィも、今のギリシャ語アルファベットにはないが、古い時代に900を表す数字として用いられた。
ギリシャ語アルファベットの最後はオメガである。
表2b ヘブル語アルファベットの数値
ヘブル語アルファベットは22文字であり、タウが最後である。
だがカフ、メム、ヌン、ペー、ツァディの語尾形の文字を、500以上の数値を表すものとして使用することがある。
たとえばペーの語尾形は、内容により80または800を表す。
旧約聖書ヨブ二・一で「神の子たち」と訳されたヘブル語の各アルファベットを、数字に換算し、それらを足すと、次のように153になる。
神の子たち (ムーヒロエハーニベ) ヘブル語と読みがなは右から読んで下さい
40+10+5+30+1+5+10+50+2
=153
また、同じくクリスチャンたちを表す「共同の相続人」(ロマ8・17)という言葉のゲマトリアも、153の倍数である。
共同の相続人
συγκληρονομοι(スグレロノモス)
200+400+3+20+30+8+100+70+50+70+40+70+10=1071
=153×7
=153+153+・・・・+153
それだけではない。「網」「魚」というギリシャ語のゲマトリアも、153の倍数である。
網 το δικτυον(トー ディクオン)
300+70+4+10+20+300+400+70+50=1224
=153×8
魚(複数) ιχθυεs(イクスース)
10+600+9+400+5+200=1224
=153×8
「網」も「魚」も、両方ともゲマトリアは153の8倍になっている。
この8という数字は、じつは非常に重要である。
8はイエスの数
「8」は、イエス・キリストに深く関連した数字なのである。なぜなら、「イエス」というギリシャ語のゲマトリアは888である。
イエス Ιησουs(イエスース)
10+8+200+70+400+200=888
ちなみに、888も3で割り切れる数であるから、先ほどの作業を施せば、153に帰結する。

「イエス」のギリシャ語ゲマトリアは、888である。
【ギリシャ正教会のイコン(聖画像)】
また、イザヤ52・10に、こう記されている。
「主はすべての国々の目の前に、聖なる御腕を現わした。地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る」。
この「私たちの神の救い」は、具体的にはイエス・キリストの救いをさしている。そして、「私たちの神の救い」のヘブル語ゲマトリアも、888である。
私たちの神の救い(ーヌヒロエ トアウシェイ)
6+50+10+5+30+1+400+70+6+300+10=888
しかもこのヘブル語は、「私たちの神のイェシュア」とも読める。イェシュアは、イエスのヘブル名である。メシヤニック・ジューは、イエスをイェシュアと呼ぶ。
さらに、ギリシャ語の「主」「キリスト」「救い主」「御子」「人の子」「神性」という言葉も、すべて8の倍数である。
主 Κυριοs(キュリオス)
20+400+100+10+70+200=800
=8×100
=8+8+・・・・+8
キリスト Χριστοs(クリストス)
600+100+10+200+300+70+200
=1480
=8×185
=8+8+・・・・+8
救い主 Σωτηρ(ゾーテール)
200+800+300+8+100=1408
=8×176
=8+8+・・・・+8
御子 Υιοs(フィオス)
400+10+70+200=680
=8×85
=8+8+・・・・+8
つまりギリシャ語では、「イエス」「キリスト」「主イエス」「主キリスト」「主イエス・キリスト」「救い主イエス」「御子イエス」など、それらすべてが8の倍数なのである。
「人の子」「神性」も、8の倍数である。
人の子 Υιοs(フィオス) Του(トー) Ανθρωπου(アンスロポー)
400+10+70+200+300+70+400+1+50+9+100+800+80+70+400
=8×370
=8+8+・・・・+8
神性 Θεοτηs(セオテース)
9+5+70+300+8+200=592
=8×74
=8+8+・・・・+8
また初期のキリスト者たちは、「キリスト」というギリシャ語を簡略化して、その最初と最後の文字だけをとり、Xsとも書いた。
キリスト(簡略形) Xs
600+200=800
これも、8の倍数であることがわかる。
8は救いとイエスを象徴する
じつは聖書では、8は救いを表す象徴数でもある。
●ノアの大洪水の時、箱舟に入った人々の数は、ノア夫妻、セム夫妻、ハム夫妻、ヤペテ夫妻の計8人であった(Ⅰペテ3・20)。
●モーセは80歳のとき、出エジプトのために遣わされた。
●贖いの儀式は、8日目に行なわれた(レビ14・10)。
●キリストの先祖、ダビデ王は、エッサイの8番目の息子であった(Ⅰサム17・12)
●イスラエルの民となる儀式である割礼は、生後8日目に行なわれた。
●過越の祭りと仮庵の祭りは7日間行なわれ、8日目は「きよめの集会」であった。
●イエスはエルサレム入場後8日目の日曜日に復活された。
●さらに、復活後8日目に、再び弟子たちの所に来られ、トマスに手とわき腹の傷をお見せになった。
●8年間、中風で床についていたアイネヤは、イエスの御名によっていやされた(使徒九・三三)
●復活の記事は、主イエスご自身と聖徒たちの復活以外でいうと、全聖書(旧新約)を通じて全部で8つ記されている。
旧約聖書に3つ(Ⅰ列王17・22、Ⅱ列王4・34~35、13・21)、福音書に3つ(マタイ9・25、ルカ7・15、ヨハ11・44)、使徒の働きに2つ(9・40、20・12)。全部で8つである。
●ヨハネの福音書において、イエスの復活は、8番目の主要な奇跡である。
●「主なる神」というギリシャ語のゲマトリアも、8の倍数であり、しかも153と8をかけたものである。
主なる神
Ο Κυριοs Ο Θεοs(ホー キュリオス ホーセオス)
70+20+400+100+10+70+200+70+9+5+70+200=1224=153×8
●バビロンにおいて、ダニエルは獅子のいる穴において守られ、また彼の3人の友人も、猛火の燃える炉のただ中で守られた。彼らの名──「ダニエル 」「ハナヌヤ )「ミシャエル 」「アザルヤ 」(ダニ一・六)の4人のヘブル語ゲマトリアの合計は、888である。
つまり、イエスの御名のゲマトリアと同じである。これは彼らと共にイエスがおられたことを示す。
このように、8は救い、あるいは主イエスご自身に深くかかわった数字なのである。153は救われる人々を象徴し、8は、救い、あるいはイエスを象徴する。
8は、2の3乗である(2×2×2=8)。それは一辺の長さを2とする立方体の体積に等しい。
立方体は、後に述べるように神的な象徴である。 また2は、神学者が述べる三位一体の神の「第2位格」である御子イエスの2に関係している。
これについても後述する。
初代教会の魚のマーク
初代教会の人々は、自分たちがクリスチャンであることを示すために、しばしば魚のマーク( )を用いた。
その理由は、「魚」を表すギリシャ語イクスース(ΙΧΘΥΣ)の各文字が、それぞれ「イエス」「キリスト」「神の」「子」「救い主」という五つのギリシャ語の頭文字に相当する、ということであった。
イエス キリスト 神の 子 救い主
Ιησουs Χριστοs Θεου Υιοs Σωτηρ
(イエスース クリストス セウー フィオス ソーテール)
これらの言葉のうち、「イエス」「キリスト」「子」「救い主」という言葉のゲマトリアは、先に述べたように、すべて8の倍数である。
そして、これらの頭文字からなる「魚」であるが、その複数形のゲマトリアは、153×8である。
魚(複数) ιχθυεs(イクスース)
10+600+9+400+5+200=1224
=153×8
つまり「魚」は、救われる人々を象徴する153と、イエスの救いを象徴する8をかけ合わせたものなのである。
このように初代教会の人々が、魚を、クリスチャンであることのマークにしたことは、非常に意義深いことだったと理解される。

「魚」のギリシャ語ゲマトリアは、153×8である。
箱舟のゲマトリア
さて次に、ノアの箱舟について見てみよう。ノアの箱舟の長さは「300キュビト」であった(創世6・15)。キュビトとは、人の手のひじから中指の先までの長さをいい、約44センチである。
300(キュビト)というこの数字は、24番目の三角数である(1+2+3+・・・・+24=300)。
24は、8+8+8でもあり、8が3つ並んで、イエスに関連していることがわかる。私たちは、イエス・キリストという新しい箱舟によって救われるのである。
引用終わり。
この久保有政先生のサイト。是非全部読んで下さい。とても勉強になりますよ。
以下の動画でご尊顔が見れます。
https://youtu.be/Co1cwkEUrnQ
さて、我が国の国歌、君が代
「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いはほ)となりて苔のむすまで」
新古今和歌集では、苔は古家と記されてます。つまり当て字。
なので、これは元々ヘブライ語です。
「立ち上がり神を讃えよ 神に選ばれしイスラエルの民よ 喜べ残された人々 救われよ 神の預言は成就した これを全地に知らしめよ」
なので、皆さんは一切生活を変える必要はありません。
今まで通りお寺や教会に行ってください。
ただし、十字架は今すぐに捨てて下さい。
キリストを殺した凶器を何故後生大事に?
トラックにお子さんを引き殺されたらトラックのペンダントを下げるんですか?
ナイフは?銃は?
頭おかしいですよ。
悪魔の名前はクロス。
英語でも日本語でも十字架の意味ですが!