tacodayoのブログ

ヨハネの黙示録に預言された時代に生きる現代人に必要な情報を発信していきたいと思います。

隠された歴史5

続きです。

以下は
バブルの日本史
からの引用です。

□誘い込まれた朝鮮出兵
島 ― 天正15年(1587)に秀吉は九州平定に向かいます。そのとき見聞したキリシタン宗徒の神社仏閣の破壊、大名が知行の一部を教会に寄進したり、日本人を奴隷として海外に売ったりするなどの事実を知って、博多で禁教令を布告します。
その3年後の天正18年(1590)に、島原半島の加津佐(かずさ)という所でイエズス会の第二回全体協議会が開かれるのですが、その時の重要議題の一つが、秀吉のキリシタン圧迫に対して軍事力を使うかどうかということだった。
この会議に出席したほとんどのスペイン人宣教師達が武力による日本征服を主張しています。
そしてその翌年の天正19年(1591)の9月に秀吉は朝鮮出兵を発令し、翌、文禄元年(1592)に実際に朝鮮への出兵に踏み切ります。
これは作戦としてごく基本的なことなのですが、宣教師たちが武力による日本征服を決意したら、彼我(ひが)の力量の違いから見て、自分達以外の誰かと戦って、勝手に疲弊(ひへい)してくれたほうが好都合なわけですね。そこでキリシタン大名を使って、秀吉をそそのかし、朝鮮を通って、明を攻めるように仕向けた、と考えることは出来る。でも、実際にはもっと奥深いものがあるようですが。

浅井― それを裏付ける当時の資料はありますか?

島 ― いくつかあります。一つは、宣教師たちは日本征服を決意していたと言う証拠です。
文書として残っているのは、1597年のアントニオ・ロペス書簡で、次のように書かれています。
「国王陛下(フェリペ2世)の力で日本に要塞を築くべきである。このようにしてキリスト教会を存続させるべきである。何故なら征服事業以外に日本にキリスト教を前進させる手段は無いからである。」
それを補足するものとしては、先ほどのイエズス会第二回全体協議会に出席した、元禅僧の日本人イルマン(修道士)ハビアン不干斎(ふかんさい)は、その後ただちにキリスト教を捨て、キリシタン弾圧側にまわります。
彼のその後の弾圧の徹底ぶりを見ると、会議で何が決定されたかおのずと明らかになります。更に、これは早大教授の高瀬弘一郎氏の著書『キリシタン時代の研究』(岩波書店)に収録されているのですが、もともと宣教師たちは、日本もさることながら、中国侵略が最大の眼目だったということです。
例えば1582年6月18日付、マニラ司教フライ・ドミンゴ・デ・サラサールからスペイン国王に当てた手紙の中で次のように述べられています。秀吉の禁教令が出る5年前です。
「私がこの報告書を作成した意図は、中国の統治者たちが福音の宣教を妨害しているので、陛下は武装して中国に攻め入ることの出来る正当な権利を有するということを、陛下に知らせるためである。・・・そして、このことを一層容易に運ぶには、中国の近くにいる日本人が、中国人の仇敵(きゅうてき)であって、スペイン人が中国に攻め入るときには、非常な敵意を燃やして、彼らもこれに加わるであろう、ということを陛下が了解されると良い。」
また、1584年6月25日付、在マカオ、フランシスコ・カブラルよりスペイン国王への手紙には次のようにあります(カブラルは1570年に来日し、1581年までイエズス会日本布教長であった)。秀吉の禁教令の出る3年前です。
「この征服事業を行うのに、最初は7千ないし8千、多くても1万人の軍と適当な艦隊で充分であろう。・・・それが出来ないときは、日本に駐在しているイエズス会のパレード(司祭)たちが、容易に2~3千人の日本人キリスト教徒を送ることが出来るであろう。彼ら日本人は、打ち続く戦争に従事しているので、陸・海の戦闘に大変勇敢な兵隊であり、月に1エスクード半又は2エスクードの給料で、嬉々(きき)として、この征服事業に馳せ参じ、陛下にご奉公するであろう。」
ここには、彼らの長期的な戦略がどういうものであったかということが如実(にょじつ)に示されています。要するに、あくまでも中国が目的だったわけです。これが重要なポイントです。

□□□□□□□


□「日本民族滅亡!」の可能性もあった戦国時代
白人国家は450年にわたり、有色人種の国家を侵略してきました。日本は侵略される側です。ところが、日本が白人国家を迎え撃つために戦ったことが、東京裁判以降の占領行政の中で「日本はアジアを侵略した。」と位置付けられてしまった。
日本は戦前から「五族協和」を唱えていました。日本人・漢人・朝鮮人・満州人・蒙古人の五族が、同じ地域でみんな仲良く暮らしましょうと。アメリカは「自分達が日本に民主主義を教えた」と言っているわけですが、日本は戦前から立派な民主主義国家でした。
アメリカで公民権法が制定され、黒人が選挙権を得たのが1964年。つまり東京オリンピックの年です。そんなアメリカが、立派な民主主義国家だったといえるのでしょうか?

以上引用終わり

【世界人権宣言]
第2条
1.すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、門地、その他の地位またはこれに類するいかなる事由による差別を受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由を享受することが出来る。
2.さらに、個人の属する国または地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、または他の何らかの主権制限の下にあるとを問わず、その国または地域の政治上、管轄上または国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。

以下は再び
失われたアイデンティティ
からの引用です。

今日、多くの日本人は、世界の理想とされる「自由」(freedom)、「人権」(human rights)、「民主主義」(democracy)、「資本主義」(capitalism)などは全て西洋が作り、それを日本が輸入したに過ぎないと信じ込んでいます。しかし、実はそうではありません。
これらの概念の多くは、実は昔から、東洋にあり、思想的にも東洋がリードしていたのです。日本もそうでした。極東の国「日本」には、その昔、ヨーロッパ、中東、中国などで迫害を受けた人々が、大挙してやってきていたのです。
ですから、当時の日本はある意味で、200年前のアメリカのような「新天地」=「新世界」でした。そして7世紀の日本には、ちゃんと「憲法」(聖徳太子の「十七条憲法」まで存在していたのです。それは、ヨーロッパでは、そののち約600年も後になって、ようやく出来たものです(1215年、英国の「マグナ・カルタ」)。
ということは、今の日本人が「自由」「人権」「民主主義」「資本主義」などを、改めて西洋から学ぶ必要はないのです。何故ならそれらのリーダーは西洋ではないからです。それらの多くはかつて東洋にあったのです。

以上引用終わり。


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