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tacodayoのブログ

ヨハネの黙示録に預言された時代に生きる現代人に必要な情報を発信していきたいと思います。

高線量被曝の恐怖 その2

以下は
エルサルバドル国サン・サルバドル、コバルト60照射施設の放射線被曝事故 (09-03-02-03)
からの引用です。
(タコ注:カナダ原子力公社製の放射線照射装置)
<概要>
1989年2月にエル・サルバドル共和国の産業用照射施設において、2回にわたる作業者の被曝事故が発生した。初めの被曝は3人の作業者が照射作業中に生じたコバルト60Co線源格納装置の故障を直接手動で修理しようとしたために生じた重度の被曝(全身で3~8Gy)であり、2度目の被曝は修理が不完全であったために、その数日後に別の4人の作業者が受けた軽度の被曝(0.1~0.2Gy)である。
事故の直接的原因は装置の故障であるが、根本的原因は国および事業者の放射線管理と教育訓練とが不適切であったことである。
(中略)
(2)事故の経緯
1989年5月2日午前2時、医療用品の滅菌照射中に線源架台が所定の位置から低下し、アラ-ムが鳴った。
当直員A(1人)は手動で線源ケ-ブルを操作して線源格納プ-ルに降ろしたものと思い込み、制御盤の線源オン信号を無視し、照射室のドアロックを強制的に解除し、主電源を切って、懐中電灯を持って照射室に入り、照射箱が線源架台の下に入りこんでいるのを見つけてそれを取り除き、更にたるんだ線源ケ-ブルが上層のコンベヤ-の照射箱ガイド棒にひっかかっていて、そのために線源がプ-ルに落ちないことを見つけた。
一人では直せないので室外に出て、主電源を入れ、援助を求めた。室内にいた時間は約5分であった。少したってからAは照射に関係のない他の部の作業員BとCの2人をつれて室内に入り、3人で線源架台を引き上げてケ-ブルのひっかかりを直し、線源架台をプ-ルに戻した。

照射室を出てから数分でAは嘔吐し始め、午前3時半になって血を吐いたことから、
Bと一緒に救急病院へタクシ-で行った。

間もなくB、Cも嘔吐し始め、3人共に入院することになった。

朝6時になって次の当直員Dが出勤し、Aの不在と照射箱の異常を知ったが、そのまま通常の作業し、翌日になって保守係に報告した。

会社側は3人の欠勤を知ったが
単なる病欠と思っており、4日目になって病院からの通知によって初めて被曝事故があったことを知ったが、そのまま通常の照射作業を続けた。

5~6日目に数本の線源ペンシルが上側の線源列からプ-ルに抜け落ち、6日に照射物の線量不足からそれが判明し、その時の検査で線源内のペンシルの配置に異常があることが判ったが、そのまま照射作業が続けられた。
6日目の午後4時に線源復帰不能の故障が起こり、これを保守係Xと運転員Yとが修理を試みた。この間に上部線源モジュ-ルの残りのペンシル線源がはずれて落ちた。線源がプ-ル内に降りてからX、Y及びもう1人の作業員Zの3人が照射室に入って点検し、何も不具合なしとマネ-ジャ-に報告した。
マネ-ジャ-は再点検のために部屋に入り、上部線源モジュ-ルが空になっていることを見つけ、放射能測定器でサ-ベイして照射室の線量率が高いことを発見し、施設を閉鎖した。
その後になって線源ペンシル4本(内3本はダミーで1本のみが本物)が照射室に落ちていることが、判った。

(3)事故の結果
第一の被曝では3人が放射線火傷や造血器官や胃腸管の障害など、急性の重い放射線症となり、初めはサン・サルバドル市のプリメモ・メイヨ-病院、後になってメキシコ市のアンジェルス・デル・ペドレガル病院に転院して、造血因子の投与などの集中的な治療を受けた。

この3人の被曝線量は身体の部位によってかなり異なっていた。
(タコ注:作業員Aの上:手、下:手。)


(タコ注:作業員Bの足。)
部分被曝として最も線量の多かったのは作業員Bの左脚部で、
この脚は
事故後161日目に潰瘍のため
ヒザの上から切断手術され、
更に右脚も202日目に切断手術された。


リンパ球の染色体異常の頻度から推定された全身の平均線量は作業員Aでは約8.1、Bは約3.7、Cは約2.9Gyであった(表1)。

この3人はいずれも生存している。

第2の被曝事故の4人の被曝線量は作業員Xが0.09、Yが0.16、Zが0.16、マネ-ジャ-が0.22Gyであって、臨床症状が殆どなかった。

(4)事故の原因と教訓
基本的には、エル・サルバドル共和国全体として放射線防護の基盤が整備されていないことが事故の原因であるといえよう。
例えば放射線防護に係わる国の法律がないこと、施設装置供給者による訓練を受けた要員はこの施設では当初いただけで、存在せず、操作や防護に関するまともな訓練が行われていなかったこと、供給者に連絡し指導を受ける方法は電話のみであったこと、などが遠因となっている。
事故の直接の原因は

事故の経緯から明らかなように

当然行われるべき手順の省略と無視
とであった。

以下はIAEA報告書
THE RADIOLOGICAL ACCIDENT IN LIA, GEORGIA
からの抄訳です。

グルジア共和国(現ジョージア共和国)で、森の中に無造作に捨てられていた放射線源によって2001年12月2日に3人が偶然被爆した事故。
IAEAの助けを借り3人の患者のうちの2人は、フランスおよびロシアの専門病院に後に転送されました。

旧ソビエト連邦では、色々な発電機が、異なる放射性同位元素を使用して設計されました。
1、セリウム144(740テラBq:ベクレルの放射能)
2、セシウム137(1850~5550テラBqの放射能)
3、ストロンチウム90(最高3700のTBqの放射能)。

これらの放射性源が核燃料として使われました。
それらの核熱発電機の典型的な出力は1~1000Wで、その寿命は10~20年です。
2つの水力発電所の間でラジオ中継システムに供給するために、8つの発電機が1980年代初期にジョージアに持ってこられたことが分かりました。
ストロンチウム90を使ったこの発電機は、250Wの出力で1480のテラBqの放射能を発生します。
1mの地点での制動放射によるガンマ線量率は、1Sv/hでした。
図2はこの種の発電機の垂直横断面を表します。

Hudoni水力発電所の建設が止められた後、ラジオ中継システムはその機能を失い発電機は放置されました。
1990年代末までには、放射性源を露出させたまま撤去され、発電機は分解されました。
8つの90Sr放射性源のうち、わずか6つが見つかったに過ぎません。
最初の一組は、1998年にIdianiの村の近くで見つかりました。
第2の一組は、1999年にLaburtskhilaの村の近くで見つかりました。
放射性源と接触した誰もが、高い照射を受けなかったのか問題にはなりませんでした。
そして1対の第3の90Sr線源は、2001年12月にLiaの村の3人の住民によって見つかりました。
患者1
患者2
患者1。193日目。

患者1。278日目。

皮膚移植14日目と55日目。
骨髄炎が生じたと思われました、そして、病理学的骨折が6、7および8本目の肋骨にありました。
実際に適用された新しい包帯は、非接着ネットでミツバチの蝋から作られ、それは植物相・微生物に有効でした(図72)。
1年10ヶ月後。


患者2。3回目の皮膚自家移植
(被爆180日目)

患者2。264日目と341日目

以下は
Strahlenunfalle historisch (bis 1945)
からの抜粋・要約です。
(訳はタコ。たぶん間違ってる?(^^; )

広島に原爆が投下された1945年8月15日の6日後の1945年8月21日、アメリカのロスアラモス国立研究所の研究者であったハリー・K・ダリアン Jr. が二つ合わせて計6.2 kgのプルトニウムの半球体の上にタングステン・カーバイドの煉瓦を落としたことで臨界状態が発生し、510レムの被爆をしたダリアンは重篤な放射線障害のために昏睡状態のまま26日後の9月15日に死亡しました。
この事故では落下した煉瓦が中性子反射体の役割を果たし、プルトニウムの臨界を引き起こしました。
(以下の写真はこちらから。)


Harry K. Daghlian, Jr.
Daghlianの手。被爆9日目
(中略)

□ベラルーシ、ニャスヴィシュでの被爆
1991年10月26日、コバルト60 Co による0.8 MCi (30μm)の放射線で、薬品や農業製品を殺菌するためのベルトコンベアが操作中に停止しました。
(タコ注:IAEAの報告書表紙から。)

修理のためその中に入った夜間シフトの34才の経験豊富な技術者は、約1分後に頭痛や関節の痛みを感じて気分が悪くなりました。
それで放射線源が遮蔽されてない場所にある事に気がついたので、すぐに修理を中断しましたが、5~6分後に悪心および嘔吐に見舞われ、それが数時間続きました。

彼はすぐに地元の病院で、16時間以内に経験豊富なモスクワ生物物理研究所に運ぶように指示されました。

全身被爆量は1250レム、年間累計で1800レム以内と計算されました。
その後約 6 日目に潜伏期骨髄無形成症、汎血球減少症、重症急性放射線症候群、後に多臓器不全を発症。
重度の胃腸症状、肝臓や腎臓の障害に加えて最終的に真菌 (麹菌) 感染と肺炎を起こし、
事故後113日目に
死亡しました。


(タコ注:放射性熱傷火傷に似た
症状が出てます
ね。
普通の火傷と違って後から症状が出ます。)
(中略)

□グルジア共和国ライロ演習場での被爆
(タコ注:IAEAの報告書表紙から。
放射性物質が無造作に放置されていた倉庫)

1997年4月から8月までのIAEAの調査により、1992年までに崩壊した旧ソ連のグルジア共和国(英読み:ジョージア)において、首都トビリシの東約25km、ロチーニ空港の北10kmというライロ演習場において、大変ズサンな放射性物質管理で多くのグルジア兵を被爆させていた事が判明しました。
大腿骨デブリードマン 1997年10月
(中略)

以下はIAEA報告書
『SECURITY OF RADIOACTIVE SOURCES』
からの引用です。

1992年のソビエト連邦の崩壊で、ソ連軍はジョージア軍を見捨てました。
そのうちの1つは、Liloの演習場です。
そして、それらはジョージ軍によって接収されました。
1997年10月に、11人の兵士が放射線によって誘発された皮膚障害になりました。
施設の捜索で、12個の捨てられたセシウム137線源が見つかりました。
それらの放射線量は、2~3メガBqから164ギガBq にわたりました。
さらに小銃スコープで使われる1つのコバルト60線源と200個の小さなラジウム226線源が、現場で見つかりました。


(上と下の写真は
『The Radiological Accident in Lilo』
IAEAリポートから。)

図29。患者3。右大腿、皮膚と筋肉削除
1997年10月28日。
図30。患者3。右大腿インテグラ・カバー
1997年11月5日。
□タイ王国サムットプラカーン県での被爆
2000年1月24日


(タコ注:写真はこちらから。)
タイのバンコクから400km離れたサムットプラカーン県で、安全基準に違反して親会社の保有する無防備な駐車場に1999年の秋に捨てられたコバルト60Coの放射線源を持つドイツ・シーメンス社製の三つの遠隔放射線治療器が、2000年1月に屑鉄回収業者によって盗まれました。
その4人は(タコ注:放射能に対する無知から)警告記号を無視して2000年2月、家で治療器を解体しようとしました。
しかし、解体出来なかったのでスクラップ工場内に持ち込み酸素アセチレン切断トーチで解体しましたが、放射源のカプセルはそのまま放置されました。2週間後、異常を感じた人々は病院に行き医者に放射線病の症状を指摘されました。
解体から当局への報告、除染まで放射能汚染は20日間続きました。
コバルトCo60の残存活性は15.7TBq (テラベクレル、425CI) だと見積もられています。
バンコクのRT病院で1981年から1994年使われた、シーメンス社製の機器の当初の放射能レベルは196TBq(5300CI)です。
シーメンス社の地元支店が破産したので、新しいディーラーを通してカナダのNordion社製を購入し、古いシーメンス製ガンマトロン3をK社に売却したのでした。
それで、新しい所有者である親会社の保有する駐車場で、彼女(タコ注:ガンマトロン3の事)はその一生を終えたのでした。

(写真はこちらから。)
計10人が放射シンドロームで苦しんでいます。
スクラップ工場に密封状態の放射線源を持ちこんだ患者(P1 ~ 4)は、やや低い2Gyの放射線被ばくを受けていました。
一人は両方の手に重度のやけどをしたため、複数回の皮膚移植を受けました。

図14-1,図14-2:患者1。被爆23日目。


(図16。8週後の患者1の左手。
中指と隣接した軟部組織壊死、
むき出しの屈筋腱に注意してください。)

(しかし)
最終的に、指は切断しなければならなかった。

別の一人は手に先の一人よりも大きな火傷を負いました。
(図17、被爆3週間目。図18、被爆7週間目:患者2)。

別の一人は足。
(図19,患者3。)

(図20、患者3。)
(図21 被爆23日目。図22 被爆11週目)

4名(タコ注:患者4、5、6、8)は6Gy以上の長期暴露を受けています。
カプセルを開いた二人の労働者うち、
一人は被爆38日目に死にました
(患者6。図25) 。
(タコ注:脱毛に注意。)

もう一人は骨髄無形成症、発作と胃の出血を発症し、被爆47日目に胃の敗血症性ショックで死亡しました(図24:患者5)。
(2000年2月22日。
被爆3週目のP5のはれた唇と舌)

また、近くに住んでいた古物置場の所有者夫妻の男性(患者8:タコ注:写真無し)は、重要な骨髄形成不全症、露出および肺浮腫の後、
被爆52日目に死亡しました。
(タコ注:IAEA報告書:彼の心臓血液培養はモルガン菌が陽性でした。
そして、彼の左肺の検死培養はステノトロフォモナス・マルトフィリアが陽性でした。)

図28:患者2。被爆6週目の骨髄細胞のDNA

以上引用終わり。

リンク切れのようなので
Accidents et incidents survenus dans des installations autres que des reacteurs, pertes ou vols de sources radioactives...
にどうぞ。







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