tacodayoのブログ

ヨハネの黙示録に預言された時代に生きる現代人に必要な情報を発信していきたいと思います。

日航123便墜落事故の真相

既に5chでやってるんですが(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)

肝硬変で突然死ぬかも知れないんで

多くの人が「圧力隔壁説」を信じ込まされているが、多くの疑問が指摘されている。
・高度7200mの上空で、垂直尾翼を破損させるほど圧力隔壁が破壊したなら、乗客は耳が「キーン」とするはずだが、生存者はそのような体験をしていない。遺書にもない。
・機内温度が6秒で65度低下して、マイナス40以下になるはずだが、同様に起きていない。
・機内で強い風が吹くはずだが、同様に起きていない。
・酸素が不足するはずだが、乗客乗員誰一人としてマスクを必要としていな
い。
これらが示すことは圧力隔壁は破壊していない、ということです。
垂直尾翼は機体内から破損したのではなく、外部からのなんらかの衝撃によって破損したならつじつまが合います。
で、自衛隊が撃墜したと言う説があるが、訓練支援艦あづまは盆休みで呉に停泊中でした。
以下は
https://ma-kutu.kazeyomumirai.com/nixtukoukimuzinhiyouteki-792
より。
『しかし、無人標的機「ファイア・ビー」をリモート・コントロールするには、海上自衛隊の訓練支援艦が必要なのです。
事故当時は、訓練支援艦は「あずま」のみが実在していたのですが、
・・・・・・・・・・・・・・
当日「あずま」は、呉港に繋留されていたのです。
したがって、当日は「ファイア・ビー」を飛ばせることはできなかったのです。』
引用終わり。
後日、チャカも搭載してるんだけどな。
訓練支援艦が居ないのにチャカが飛ぶわけない。
これで完全に自衛隊説は否定されてる。
P-3Cの前の対潜哨戒機はP-2J。
それを改造した機体はファイアービーを搭載出来たがチャカは積めない。
誘導装置のスペースとか電力が足りん
で、こちらが正解。
https://x.com/bandainokairai1/status/1691762637695234169
より。
日本航空123便墜落事故における陰謀論には、「標的機衝突事故説」が存在するが、平たく言えば「不可能」であり、昔から幾度となく否定されている。 
横須賀地方隊横須賀警備隊に配備されていたLSSL-91「はまぎく」対空射撃標的機母艦は1976年に除籍し、事故当時類似の訓練支援艦は呉基地のATS-4201「あづま」しかない。 
しかしこの種の訓練が行われる際、防衛庁長官(当時)の許可の下、官報で事前に公表され行われるが、そのような記録はなく、交通量多い相模湾での「あづま」並びに自衛艦等からの航空機発進の目撃情報は無い。 
そこで当時海上自衛隊に引き渡される前の公試航海を行っており、事故後に123便〈JA8119〉の垂直尾翼回収に協力した事でも知られる護衛艦「まつゆき」が同様の陰謀論に用いられるが、BGM-34 ファイア・ビーに指令信号を送り、テレメトリー信号を受信する追尾誘導装置STTS(Shipboard Target Tracking System)ないし、高速標的機艦上追尾管制装置 TCATS(Target Control and Tracking System)を搭載する必要がある。 
しかしこのSTTS・TCATSは艦の高い位置に設置する大型レドームが特徴で、民間企業で試験中の護衛艦が計画にない設計変更と改修を行えば記録に残らないという事は考えられない。 
また、そのような目撃情報は当時も活動している雑誌「世界の艦船」でも取り上げられていない。 
なお、そもそも破片を回収した護衛艦まつゆきは非武装である。
引用終わり。
汎用護衛艦に無人標的機発射装置や誘導装置など戦闘の邪魔でしかない。
また公試運転とは、海上自衛官も乗船する場合も有るが、製造した会社の人間が予定通りの性能が出るかどうかを確認するための作業です。
武器、弾薬など登載しません。
自衛隊が日航123便を撃ち落とした、
と言うのは軍事のド素人。
ウィキペディア 日航123便墜落事故より
元アメリカ空軍中尉マイケル・アントヌッチの手記が事故から10年後の1995年8月20日付「The Sacramento Bee」に掲載され[61]、8月27日「Pacific Stars and Stripes」に転載された[62][63]。
この手記に基づいて日本メディアは自衛隊が米軍の支援を断ったとして、自衛隊批判を展開した[64][注釈 27]。
手記によれば、C-130の乗員だったアントヌッチは、沖縄から横田基地への帰還途中、横田管制からの要請により日航機のレーダー消失地点に向かった。
現場山中で火災を発見し横田管制に報告した。横田管制より厚木基地からアメリカ海兵隊のヘリ (UH-1)が向かっていると聞き、20時50分までにヘリのライトを視認できた。21時05分、海兵隊からC-130に煙と炎がひどくてとても着陸できないと連絡があった。
少し移動して乗員2名を降ろす予定だった。海兵隊からC-130に対し司令部に連絡するよう依頼され、アントヌッチが連絡したところ、
・・・・・・・・・・・・・
将校から中止を命じられ帰投
を開始した。帰投準備中の21時20分、最初の日本の飛行機が現れた。C-130の乗員は横田に到着後、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第861戦術飛行隊の副司令から123便関係の
・・・・・・・・・・・・・・・
ことについて箝口令を布(し)かれた[66]。
(傍点タコ)
Pacific Stars and Stripsが在日64米軍(USFJ)に取材したところ、
記録がないとのことであった[67]。
注釈64より
マイケル・アントヌッチ・ジュニア「米軍パイロット、小誌に重大証言 御巣鷹山日航機事故10年目の真実 生存者を見殺しにした“空白の14時間”」『週刊文春』9月28日号、1995年9月28日、49-53頁。
引用終わり
この地図が分かりやすいな
以上http://dmcr.web.fc2.com/より。

ウィキペディアでも伊豆半島南部の東岸に差し掛かる頃、管制不能になった米海軍無人標的機チャカが追突した。
横田管制空域だ
同じくウィキペディアより
C-130の乗員は横田に到着後、第861戦術飛行隊の副司令から123便関係のことについて箝口令を布(し)かれた[66]。
Pacific Stars and Stripsが在日米軍(USFJ)に取材したところ、記録がないとのことであった[67]。
引用終わり
事実上の米軍横田管制空域で記録が無いなどとはあり得ない!
米海軍無人標的機チャカによる
墜落の決定的な証拠だ!!
日本航空123便の飛行経路【時事通信社】
図はコチラから
要参照

無人標的機チャカ
https://blog.goo.ne.jp/yoshi0749/e/13a583df2e928f473e975ea9d4a78c99
チャカ
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Northrop_BQM-74_Chukar
http://www.link-21.com/JAL123/022.html
無人標的機ストリーカー
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/MQM-107_%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC
□トロンについて
https://x.com/ShinyaMatsuura/status/1515318227748143104
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13226496618
パソコンのOSはMicrosoft社のOSが主流ですが、IoTの主戦場である、組み込みOSでは、日本生まれのTRONが世界のディファクトスタンダードになっています。 
組み込みOSはパソコン用OSより桁違いに多く世界に存在しますから。単純に世界のOSのデファクトスタンダードは?と言えば圧倒的にTRONです。 
確かに日航123便で、TRON-OS開発チームの内、17名がお亡くなりになっていますがそれは、松下電器のTRON技術者で有って、本家本元の東大トロン開発プロジェクト責任者の坂村博士を始め多くの主要開発メンバーは無関係です。 
松下電器(現Panasonic)の製品に搭載する組み込みOSの技術者がお亡くなりになっただけですから、そもそもパソコン用OSに影響は有りません。
以下は5chに書き込んだワテの書込み
>>1
の馬鹿は正月やお盆は、半数が有事や災害派遣に備えて、陸上自衛隊なら駐屯地に拘置されるという、現実を知らない軍事音痴君。
能登半島地震で初動が遅れたのは、休暇の隊員呼び戻さないと誰が北朝鮮のミサイル実験に対応すんの?
尖閣諸島侵犯に対応すんの?
ということをまるで分かって無い軍事音痴。
が、良い機会を与えてくれたな。
日航123便の事などすっかり忘れてたわ。
以上終わり。
5chで論破してやりましたが、
日本航空安全啓発センターに展示されている事故機の圧力隔壁部分、不自然な修理方法が展示されています。
今でも予約すれば見学可能ですが、そもそも民間航空機(いや、軍用機も)は燃費が大変重要です。
ボーイングの圧力隔壁修復は全く燃費を無視しています。
尻もち事故の圧力隔壁セミモノコック部分を取り去り、新たに新造圧力隔壁を取り付け元々の上下と同じ圧力隔壁を取り付けるのが、本来の修理のはずです。
以下捏造修理ミス図
中曽根康弘は、『この事件は墓場まで持っていく』
と、言ったと複数の週刊誌が書いてた。
こちらでは、認めているのか否定しているのか、分からん内容。
と言うか、結局この記事を書いてる人間にも断定出来ていない。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/26eaf335a5893df2a6872b708bb859cbcdd21b45
全くの調査不足。
だいたいアエラの創刊は1988年。
国鉄労組は当時は三つに分裂していた。
当初はストに国民は好意的であったが、度重なるストで駅員が乗客に殴られる事件が相次いでいた。
なので、中曽根総理が国鉄の民営化云々はタダの言いがかり。
当時ワテは高校生で、当時の国鉄社員の家でマージャンしながら国鉄分割の内輪話をよく聞かされたもの。
後の理由はただの言い訳。
【真相】
陰謀でもなんでも無く、チャカの誘導装置のコンピュータチップの修理不具合が原因です。
新品に変えてれば事故は起きていません。
当時、同海域で米海軍による演習が行われて居ます。
その事実が明らかになり、日本のマスメディアは自衛隊撃墜説を撤回しています。
無人標的機は何回も撃墜され、その度に海上自衛隊なら訓練支援艦が回収、修理して再利用するものです。
コチラはチャカの時代ではなく最近のものですが、
https://mamor-web.jp/_ct/17691834
コチラはチャカ。
https://blog.goo.ne.jp/yoshi0749/e/b7b8f230f073dacd3c5ff38fb66b47ce

日本航空123便墜落事故は1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)、日本航空123便(ボーイング747SR-100)が群馬県多野郡上野村の高天原山山中ヘ墜落した航空事故である。


第2次中曽根内閣は、中曽根康弘が第72代内閣総理大臣に任命され、1983年12月27日から1984年11月1日まで続いた日本の内閣。
第3次中曽根内閣は、中曽根康弘が第73代内閣総理大臣に任命され、1986年7月22日から1987年11月6日まで続いた日本の内閣。
第2次内閣時代より円高不況と日米貿易摩擦の対策として内需拡大政策を打ち出していたが、原油価格低下もあって統計上はこの12月頃よりバブル景気に転じたとされる。


東芝ココム事件

「東芝機械ココム事件」て゛東芝を強く非難する米議員ら(1987年、写真:AFP/アフロ)


米中対立は第2幕へ 「東芝ココム事件再び」というリスク


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