忍者ブログ

tacodayoのブログ

ヨハネの黙示録に預言された時代に生きる現代人に必要な情報を発信していきたいと思います。

恩を仇で返すゴキブリ朝鮮ハエモドキ

-引揚民間人を襲った朝鮮保安隊の略奪・暴行・殺戮の嵐 -


「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないつかのエピソードがある。 


 北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、 辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、ついで


朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々にめられたうえ、


虐殺されている光景であった。」


(中略)


「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。 娘は明け方になり無残な姿で、涙も枯れはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。 


みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。


 部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのは普通。一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。城津での惨状は言語に絶した。(中略)朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、 干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという」


博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。 


強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。また、性病に感染した女性たちについても、って回復するまで治療が行われた 。




-以上『引揚民間人を襲った朝鮮保安隊の略奪・暴行・殺戮の嵐 』正論 2005年11月号より


-惨憺たる北鮮引揚げ-


(前略)南鮮の日本人は終戦の年の暮れまでにど全て引揚げたが、北鮮では約31~2万の日本人がそのまま残っていた。もともと北鮮に住んでいた27~8万と、満州から戦火をけて逃げてきた4万人である。北鮮に入って来たソ連軍は、満州におけると同様、略奪、放火、殺人、暴行、強姦を欲しいままにし、在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられることになった。白昼、妻は夫の前で犯され、泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的にされた。反抗した者、暴行を阻止しようとした者は容赦なく射殺された。


「各地の凄惨な記録は読むにえない」と、『朝鮮終戦の記録』の著者:森田芳夫氏は書いている。それらは主としてソ連軍兵士によって行なわれた事であり、また占領地の住民の保護にあたるべきソ連軍当局の責任であることは明らかだが、ソ連兵に触発された朝鮮人の暴行も多かったし、ソ連軍を背景に行政権を掌握した北鮮の人民委員会も、その責任はれない。


例えば3000名中、その半数が死亡した富坪の避難民の情況を調査するため派遣された


 咸鏡南道人民委員会検察部、李相北情報課長自身、次のように報告している。 




…かれら(在留日本人)の大部分は、途中において衣類、寝具等をされ、零細なる金銭と着衣のみにて咸興市内に殺到したるも…


われわれは36年間の日帝の非人道的支配に反発し(福田注 恩を仇で返す朝鮮標準)、


立場が逆になった日本人全般に対する民族的虐待という、


ごく無意識のうちにファッショ的を犯したことを告白せざるを得ない。…


駅前に雲集せる三千余名の避難民を空砲と銃剣をして、即時咸興市外脱出を強要し、市外に追放した。その結果、断え間なく降りつづいた雨中の川辺と路傍に野宿し、極度のと栄養不良を激成し、…


富坪避難民の宿舎は実に呪われたる存在である。それは実に煤煙と、余りの悲惨さに涙を禁じ得ない飢餓の村、死滅の村なり。襲いくる寒波を防ぐため戸窓はらず、カマスで封鎖され、白昼でも凄惨の気に満ちた暗黒のなり、それは避難民を救護する宿舎ではなく、呪いを受くる民族のまとめられた死滅の地獄絵図にして、老幼と男女を問わず、な顔、幽霊のようにうごめくかれらは皮と骨となり、足はきかず、立つときは全身を支えることも出来ず、ぶるぶるい、子供たちは伏して泣す。無数の病める半死体はきながらカマスの中にしており、暗黒の中にびつつ、……そこに坐しているのは実に地獄の縮図以外の何ものにもあらず…(森田芳夫『朝鮮終戦の記録』)




一日も早く引揚げさせてくれという要望はソ連軍当局によって無視され、日本人はただただ餓死を待つよりほかない状況に追い込まれた。こうして在留日本人社会では「38度線さえ越えれば」というのが唯一の悲願となった。せこけた身体に乞食のようなボロをまとい、山を越え谷を歩き強盗にささやかな所持品を奪われ、歩哨の銃弾にたおれ、そして時には泣き叫ぶ子供の口をいで死にらしめるまでして、人々は南にり着いたのである。38度線は朝鮮民族にとっては何十万の血の流れた同胞の境界線となったが、20万を超える日本人にとってもまた、血と恨みにられた『天国と地獄の境』となったのである。


-以上「韓国・朝鮮と日本人」 若槻泰雄 89年 原書房


-南朝鮮(韓国)人の証言-


15日の夜、(朝鮮半島北部にある)羅南の(日本)軍当局は最後の破壊作戦に出て、全市の軍事施設に火をかけて焼いた。その夜、僕は鏡城の北にあたる山の上から、炎上する羅南の赤い空を眺めていた。…36年、わが国を軍靴で踏みにじってきた侵略者の断末魔の光景であった。朝鮮の農民たちは、15日(終戦日)が過ぎても何が起こっているのか正確には知らないでいた。ただ、津波の引き去るように逃げてゆく日本軍、警察、一般日本人が、もう二度と戻ってこないようにと願いながら、そのさまを眺めていた。


(中略)


羅南の軍事施設が燃えた晩、市内は無人地帯であった。数千人の日本人は、臨時疎開して、すぐ帰るつもりであったかもしれぬが、市が燃え尽きても、ついに一人も戻らなかった。日本人は永遠に去ったのである。帰ってきたのは全部朝鮮人であった。彼らは、防空壕からはい出し、あるいは郊外の避難先から、続々戻ってきた。


火災の翌日、いたるところにのくすぶる市内で、物資あさりの騒乱が始まった。窓も門も開け放しのまま去った日本人の空き住宅、商店、倉庫などにアリのように人間が群がった。家財、衣類、食器、装飾物、楽器、娯楽品、靴、傘、書籍、自転車、あらゆるものをかっさらい運び出すのに忙しかった。町全体が怒鳴り合い、奪い合い、誰もが目を皿のようにして走っていた。


ある人はトランクを担いで逃げる。ある人は自分の体よりも大きい布団袋を引っ張って走る。ある人はリヤカーに山ほど積んで汗を流しながら家に急ぐ。ある婦人は衣類をいっぱい頭に載せオーバーを抱えて土手にのぼる。ある老人はチゲ(背中に荷物を担ぐ時に用いる木製の背負子)の上に衣類ダンスを担いで走る。みな走る、ぶつかる、る、宝物を求めて、より大きい高級住宅に入る。先着の略奪者は血相を変えながら部屋から部屋に出入りする。集めた品物から目を離したとたん、別の者が担いで逃げる。家に持って帰っても、また出ていくと、その間に誰かが来て持ち去る。こういう時には誰も安心できない。隣り近所、みな疑心暗鬼である。避難先から帰りの遅れている肉親をる。だからといって呼びに行く暇もない。




「――あのとんま野郎!こういう重大な時に家に居さえすれば、


いっぺんに大金持ちに成れるのに・・・!」




2、3千軒の日本人民間住宅と商店、数百件の焼け残りの軍用官舎は、わずか5,6時間でスッカラカンになった。


僕が羅南に着いた時は、そういう"敵産の分配"が終わってから一週間も経っていた。残るのは日本人の不動産である。日本人の家屋、商店、車庫、倉庫の壁や門に、色とりどりのペンキで、大小さまざまに、ハングルや漢字で所有者の名前が書かれていた。"李XXの家"と書いた反対側には、もっと大きな文字で"金XXのジップ(家)"と書いたり、前に書いた文字を消して一尺もある大きさの漢字で"この土地は40年前のわが祖先の土地なり"と書いてあったり、"この建物では近き将来平和食堂開業予定" "まもなくアリラン床屋になります" "この建物の主、日本人某は一週間前、小人(自分)に移譲せり"等々、何とかして自分のものにする口実を書きつけていた(まもなく敵産家屋、土地、軍事施設は全部登録され、政府または全人民の所有になった)。





僕の伯父が住んでいた初瀬町のはずれの谷間の入り口に、氏経営のよく手入れした農園があった。解放前には周辺の朝鮮人は皆、小玉さんを尊敬していたが、世の中が逆さまになって、皆、彼を"日帝の悪質地主"とののしった。今度の騒動で、小玉邸もなはずはなくサジ一本、畳一枚残さず、すっかり群衆に没収された。


引揚げの惨事は北朝鮮だけに起こったのではない。


南朝鮮(韓国)においても、日本人に対し朝鮮人はあらゆる悪事を働いた。


北と南に民族性の違いはないのである。 




―以上「朝鮮戦争の真実 -元人民軍工兵将校の手記-」 朱栄福 1992年 悠思社

PR

コメント

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

最新コメント

[07/03 NONAME]
[07/03 NONAME]
[11/09 その名前は既に使われております さん]
[11/09 その名前は既に使われております さん]
[11/09 その名前は既に使われております さん]

ブログ内検索

忍者カウンター