tacodayoのブログ

ヨハネの黙示録に預言された時代に生きる現代人に必要な情報を発信していきたいと思います。

広島・長崎原爆で奇形児が少なかった理由のカラクリ

広島・長崎原爆で奇形児が少なかった理由のカラクリ
コチラに残っていた記事を再現しまいました。

以下は

「原爆ホロコースト」の実態 ~ 「原爆」と「冷戦」の舞台裏 ~
からの引用です。

●広島大学の名誉教授である芝田進午氏は、原爆の対日使用は「人体実験」だったとして、1994年に次のように述べている。
「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカの覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への『人体実験』である。
 だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、
第1に、原爆の惨状についての報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。

第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。

第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。

第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。
加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。


トルーマン大統領は原爆の惨状についての報道を一切禁止し、被爆治療を徹底的に妨害した。 そして被爆者を「治療」せず「実験動物」のように観察する組織「ABCC」(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置した。

●広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。まさにアメリカがやったことは、「人体実験」だったといえよう。

ー 被爆者である橋爪文さんが書いた 『少女・14歳の原爆体験記』(高文研) (中略) より。ー

「私は広島の生き残りのひとりです。〈中略〉 ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。
治療は全く受けませんでした。
そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。
こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。
しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実なのです。
私たちは焼け跡の草をむしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。

あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。

以下は
広島の助産婦の証言 ~原爆による奇形~
からの引用です。

私は昭和20年当時、尾長町で産院を開業していました。41歳でした。その頃はまだ家庭分娩が多うございましたが、だんだん少なくなりまして、昭和30年頃には、皆産院に吸収されました。
何も記録は持っていませんが、奇形がたくさん出ました。当時はABCCへ、みな報告しなくてはいけないシステムになっていました。奇形が出ましても、報告するのを嫌う人もございましたので、しなかったこともあります。

一番多かったのは兎唇でございました 。
それに口蓋裂もあって、泣くと喉の奥まで見えるんです。お乳も飲めないような...
それから肢指過剰ですね。多指です。
それから鎖肛(正常な位置に肛門がなく、直腸が盲端になっており、5千人に1人の確率で発病する)。
肛門のないのも多うございました。


兎唇や多指は数が多うございました。分娩で頭の先がでましたら、今度も兎唇じゃないかしら と思ったら、やはりそうで、そのたんびに憂いたことを覚えています。あーどうしてこんなに兎唇が生まれるんかしらと思いました。

すぐ近所でございましたが、二軒に同じように耳のない子が生まれました。その1人の赤ちゃんのおばあさんは、産婦人科の看護部長をしておられました。奇形が生まれたということで、すぐに病院に電話をされたれしいですが、先生が来られたあくる朝、赤ちゃんは逝きましたからね。もう一軒は可愛い女の子でございましたが、おばあちゃんは「火葬場に持って行くまでは、泣きだしはしませんから。」と言っておられました。これは薬を使ったんだなと私は思いました。もちろん、家族は何も言いませんし、私も 聞きもしませんでした。元気な子でしたがね。そのおばあちゃんは生涯悩まれたそうです。可愛い子だったですからね。 髪の毛でね、こうやって耳を隠していれば判りはしませんのにね。耳がないんです。ツルッとしておりました、片方だけ 。

それから、内蔵露出で、グルグルと腸が出ておりまして、思い出してもひどいヘルニアだったんですね。大学病院で手術をしてもらい、それはどうにか助かりました。
まだそれから、鎖肛、これはたくさんありました。
それから無脳症ですね。
終戦直後ではないから、2~3年後だと思います。母親は30代でした。どうしても頭の位置がわかりませんのよ。上の方にあるのは確かに臀部だがと思いましても、頭部に触れませんのよ。おかしいなと、みよりましたら、無脳症でございました。氷を氷袋の中にいれて下げたらザラザラしますように、頭蓋骨がぜんぜん固まっていない子でした。
だから
そんな子が生まれたら、極秘にしてもらいたくてね。こんな事は当時はとても言われませんでした。

ー 広島医療生協原爆被害者の会発行「被爆体験記・ピカに灼かれて」13集より引用 ー

全文はこちら
http://onodekita.com/Files/20121013oka murahisako.pdf


写真は、映画「世界は恐怖するー死の灰の正体」1957年 日本ドキュメント・ フィルム製作より(クリックで拡大)

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シャム双生児 昭和27年6月生まれ ヒロシマ爆心地から2キロ 40歳母親

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無脳児 昭和26年生まれ

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単眼男子

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人間の形をしていない物体 昭和26年 長崎 1480m 三菱工場あと

「ABCC遺伝計画」における助産婦の役割
(中略)
米・ABCCの新生児データ、助産婦に謝礼払い収集

以下は
ABCCは何をしたか
からの引用です。

3、久保浩之さんの証言
(中略)
ABCC(原爆障害調査委員会)は死産した奇形児などの胎児を渡すと、内緒で報酬がもらえた。

4.知人の女性の証言
ABCCで脳を取られて、返された子どもの様子を今でも鮮明に覚えている。
頭部は目だけが見えるが、他の部分はすべて包帯でグルグル巻きにされて、悲惨な状態だった。

以下は
死の灰の正体ー無能児、単眼児の出産も
からの引用です。

(中略) 無脳児については木下黄太氏のブログで今回の事故後に紹介されています。

〉◇「無脳症」の報告がまた増えました。

〉二十代後半の沼津市内の女性が、
〉震災後に妊娠が発覚し、
〉順調と言われていたのですが、
〉無脳児とわかり、堕胎しました。
〉その沼津の総合病院では、一年に一例も無脳症 はないそうです。

このようなことを書くと、無脳児は通常でも起こりうる。不安をあおるだけだという非難の言葉が出てきます。
そして、ヒロシマ・ナガサキでは統計的に有意ではなかったと証拠を挙げて反論する人もいるかもしれません(タコ注:これに関しては後述)。
(しかし、間違いなく)このような奇形児は、岡村ヒサさんの証言で示しましたように、必ず(世間から) 隠されます。

以下は同じ
死の灰の正体ー無能児、単眼児の出産も
コメント欄からの引用です。

◇奇形児と聞くと思い出すのが、70年代半ば、親しい従姉妹が妊娠出産した時のことです。
彼女の母親の親友のご主人が産婦人科で開業しておられ、奥様手作りのお食事がとてもおいしくて評判だというので、そこで出産すると決めて、検診に行くたびにそのお医者様が話される内容を従姉妹から聞き、びっくりしました。
「最近、奇形児が増えてきている。
一つ目とか、・・・とか、
いわゆる「おばけ」として絵画に描かれているような、そのままだ」。
「死んでいることが多いが、生きている時も、鼻と口を押さえて・・・『死産でした』と言う」。
「一度などは、赤ちゃんの父親が、子供に会わせてくれ、と言って聞かないので見せたところ、その場で卒倒した」、等々。
普通の妊婦さんは気味悪がって、他の産院に行ってしまう、と奥様が、親友である彼女の母親にこぼしておられたとか。

当時は、大気汚染や公害という考えしか無く、そういうものの影響かと思っていただけでしたが、福島を経た今、各国の核実験の影響も大きかったのか、と改めて恐ろしく思います。

◇私が社会人になってからの友人で、長崎出身の男性がいます。
二人とも、歯の生え方が不完全です。
乳歯のままで大人の歯が全部生えなかったとか、前歯が一本しかない。
長崎生まれ長崎育ちの友達が二人だけなので、どれくらいの確率か不明。
親世代がどこ住みだったかは分かりません。

以上引用終わり。

以下は
九月に入ってから出産の異常が増えてい るという東京・多摩地域の産科クリニック
からの引用です。

東京の多摩地域の産婦人科のクリニックの情報です。
そのクリニックは年間出産数が四百人弱。
月間で60人程度出産されるそうです。
その際に、畸形や死産なども含めて出産の何らかの異常がおきる割合は、年間1人か2人程度。
0.5%くらいだそうです。
ところが今月既に3人でそのような状況がおきはじめているそうです。
『9月は始まったばかりなのにもう三人もそんなことになり今後を心配しております』
と、その方もおっしゃっています。
(中略)
原発事故発生から半年をすぎたこの時期から、出産にまつわる様々事象は、顕現化してくる可能性があります。

以下は
広島被曝60年 (その2)広島市医師会
からの引用です。

5)胎内被爆による障害;
放射線の影響を受け易いのは胎児であり、妊娠初期が放射線被曝による障害が高度である。
胎内被爆者は広島で2,310人、長崎で1,562人であり、その死亡率は母胎の被曝線量の増加に比例していた。
胎内被爆児は同年令の非被爆児より頭囲、身長、体重が小さく、その内、小頭症は広島47人、長崎15人で、妊娠18週未満の胎内被爆児に顕著であり、被曝線量とともに増加していた。
更に知能低下を伴う小頭症も22~25人認められた。

以下は
原爆による奇形児の2世(長崎・広島県・2007年2月26日 『放影研60年』より) 12万人を追跡調査/被曝線(放射線にさらされる)量推定
からの引用です。

■胎内被爆
母親の胎内で被爆した約三千六百人(非被爆者を含む)が対象。
1960年代までの研究で、原爆小頭症と精神遅滞の増加を確認した。
厚生省(当時)は67年、「近距離早期胎内被爆症候群」の病名で、患者の症状が放射線に起因していることを認め、公的援護の対象としている。

以上引用終わり。

上記の2つの記事には、
一番多かった兎唇や肢指過剰(多指)が含まれず、さらに口蓋裂、鎖肛(正常な位置に肛門がない)が含まれていない
ことに注意!!。

よって、放医研の報告書を基に福島原発事故による健康被害や遺伝的疾患について論じる事は、非科学的で全くナンセンスなのは、子供でもわかる理屈のはずなんですが…


さて、ABCCのリポートは、
①主に中性子線と高・中線量ガンマ線による殺傷効果、
放医研の調査は、
②核爆発後、5年以降に当該地域が自国の軍隊によって占領・管理(又は植民地支配)できるか?という視点で作られたリポートだと(いささか乱暴ですが)分類する事もできます。
あくまで軍事目的だと考える方が自然です。

以上をまとめると、
①不正確なデータを元に、
②同じ被曝者を直接の被曝(一次被爆)者と、間接被曝(二次・三次被爆)者を分けて分類・調査し、間接被曝者を非被曝者に分類し、
③これを統計の基礎として扱い、
④軍事目的で作られた報告書である、
ABCCと放医研の、
「被爆していない日本人の白血病の生涯発病リスクは1000人に7人だが、被爆者の生涯リスクは10人なので、だいたい1.5倍のリスクだ」
という見解は「全くのデタラメ」だと考えて良いでしょう。


そして、更に酷い分母の改ざんもしています。

それは何かというと、
直接の原爆被爆者(一次被曝者)と、救護や手当、家族の安否確認の為に市内に入った二次被曝者、更にその後に残留放射能によって三次被爆した人々を分けて調査し、二次、三次被曝者を非被曝者に分類している事です。
直接に(一次)被曝をしていないからという理屈で、残留放射能により二次的、三次的な被曝をした人々を、非被曝者に分類しているのです。


仮に、核分裂による一次被曝で大きなダメージを与える中性子線や高・中線量ガンマ線が医療体制の崩壊した爆心地周辺で人体に与える影響を調べるのであれば、ABCCとその後を継いだ放医研の分類方法は非常に合理的と言えます(もちろんアルファ線やベータ線なども被害を与えますが、中性子線が与えるダメージや透過力には、はるかに及びません)。

しかし、アルファ線やベータ線、低線量ガンマ線による被曝、つまり残留放射能による二次的、三次的な被曝、特に内部被曝の影響を調べるのには、全く不適切な分類方法です。
なので、この放影研の使う統計は福島原発事故には全く使えません。
それでもあえて放医研の統計を使うと言うならば、その報告書の題名は、
「原爆被曝5年後以降生存者における、直接放射線被曝に関する疾病並びに遺伝に及ぼす影響、特に中性子線等の高エネルギー線の影響に関する調査報告書、広島・長崎編」
であって
「広島・長崎原爆被曝直後から現在に至る、直接並びに間接的な放射線被曝による疾病及び遺伝的影響に関する調査報告書」
と呼べるようなものではありません。

更に1953年までに数多くの大気圏内核実験が行われ放射能が世界中に拡散しています。
放医研(放影研)は核実験による放射能汚染の現状を知りながら、いや、知ってるからこそ、あえて東京赤十字病院と広島を比べて、放射能の影響無しとしています。

やり方が卑怯ですね

長崎原爆の後にも、アメリカは1953年までに(世界初の水爆実験を含む7作戦、)30回にものぼる大気圏内核実験を行なっています(合計で約11、7Mt、広島型原爆780発分)。
更にアメリカだけでなくソビエト、イギリスも大気圏内核実験を行なっています。
代表例として、
①1949年8月29日 ソビエト連邦による初の核実験
②1952年10月3日 イギリスによる初の核実験
③1953年8月12日 ソビエト連邦による初の水爆実験
などなどです。


福島原発の放射性物質が遠くアメリカに、またチェルノブイリの放射能が日本にもやって来たように、広島・長崎だけでなく、各国の大気圏内核実験の放射能がまんべんなく日本列島に広がりました。
今回の福島原発事故と全く同じです。

広島型原爆800発分以上の放射性物質が世界中に撒き散らされている現状(1953年時点)で、東京赤十字病院と広島・長崎を比べるなど、ナンセンス極まりありません。

『広島・長崎原爆で奇形児の出産は増加していない』という放医研(放影研)の見解は、広島・長崎や米英ソの放射能が地球上にまんべんなく広がって、多くの人々が同じように被曝をしている事を知っていて作られた大嘘統計、データを基にしたペテンです。

からの引用です。

写真:顎の奇形が起きたジューレさん(20歳)。
7a60485d.jpg
甲状腺異常のため成長障害と知能の発育障害がある。
母はガンで亡くなった。

写真:水頭症ととも二分脊椎を手術した子ども
71313c2f.jpg

以上引用終わり。

前の記事の表(クリックで拡大)
image
から単純に考えると、福島原発はチェルノブイリの70倍、長崎の43倍以上の放射能を撒き散らしていることになります。

コチラもどうぞ
高線量被爆の恐怖

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