tacodayoのブログ

ヨハネの黙示録に預言された時代に生きる現代人に必要な情報を発信していきたいと思います。

国際金融資本家と明治維新とヨハネの黙示録 2015/11/03 21:06

大摩邇(おおまに)さんが残しておいてくれた記事復活しました。
https://genkimaru1.livedoor.blog/archives/1967260.html

ロスチャイルドに上手く操られた?長州五傑
遠藤謹助(後に造幣局長、上段左)、
野村弥吉(鉄道の父?井上勝、上段中央)、
伊藤俊輔(後に首相、伊藤博文、上段右)、
井上聞多(後に首相、井上馨、下段左)、
山尾庸三(東大工学部設立、下段右)1863年
前髪の髪の毛の多さに注意!!
最低でも1ヶ月以上前から伸ばしていたはずですね。

以下は
映画「長州ファイブ
からの引用です。

長州五傑(長州ファイブ)と呼ばれ、幕末に長州藩から派遣されてヨーロッパに秘密留学した、井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上勝)の5人の長州藩士の渡航前後の様子を描く。

山尾庸三の日記によれば、
秘密留学のため秘かに乗り込んでいた英国船が横浜港から無事出港したのは、1863年(文久3年)5月12日 (旧暦)であり、それは
長州藩が「攘夷決行」の
叡慮(えいりょ)および幕命にしたがって
馬関攘夷戦争を開始した2日後であった。

以下引用終わり。
文久2年(1862年)オランダの遣欧使節団。右から
柴田剛中、福澤諭吉、太田源三郎、福田作太郎


以下は


苫米地 英人
「明治維新という名の洗脳
150年の呪縛はどう始まったのか?

からの引用です。

まずは左の書状を見てほしい。
1862年、幕府の遣欧使節団がデント商会横浜支店長でポルトガル領事のエドワード・クラークにメキシコ・ドルで三万ドルを渡し、パリで両替できるようにした為替手形だ。
(中略)
(『幕末維新外交史料集成』維新史学会編)

ここで注目してほしいのはロツジルトという名前。これはフランス語読みでは現代ではロチルドと書くのが普通だ。また、ドイツ語読みならロートシルト、英語読みならロスチャイルド。

つまり、
パリで幕府使節の旅費の両替をしたのはロツジルトこと、フランス・ロスチャイルド家であった
(あと現在確認中なのがメツシスで、これはフランス語読みでメディシス。つまりメディチ家の可能性がある)。

(タコ注:メディチ家出身の第217代
ローマ教皇レオ10世。)
(中略)
外資系銀行はこの翌年1863年3月、インドのボンベイに本店をもつイギリス資本のセントラル・バンクが横浜上陸したのが嚆矢(コウシ)となる。
同行は外国資本の銀行というだけでなく、日本で最初に設立された銀行でもあった。
この年は銀行開店ラッシュで(中略)1867年になってやっとパリに本店をもつコントワール・デスコントが横浜支店を開設するも、翌年には閉鎖してしまう。
幕末の日本はイギリス系の銀行が独占していたのである
(中略)
文久3年(1963年)とは萩藩が5月に外国船を無差別砲撃し、7月に薩英戦争が勃発した年。
こんな政情不安定な時になぜ、外資系銀行は次々と横浜支店を設立したのだろうか?
(中略)
何故か?

答えは戦争が起きた瞬間、
当事国の通貨が暴落するから
である。

(中略)
この年の出来事で一番重要な出来事は萩藩が外国船に向けて無差別テロを行ったことでも、薩摩とイギリスが戦争したことでもない。
これらの戦争行為によって、日本の通貨『両』およびイギリスの『ポンド』が事実上消えたこと。

国際決済で使えなくなってしまったことが、
 特筆すべき出来事なのである。


□銀行と戦争
では、当事国の通貨が使えなくなるとどうなるのだろうか?
それは
外資系銀行が貸し出す
国際流通通貨を使用する以外に道は無いということだ

当時で言えばメキシコ・ドル。
基本的にこれを使わなければ、銃一丁、弾一発も買えない状況が訪れたということである。

ところで、読者の中には、
なぜ、この当時、どこの国もドルを使っているのか、不思議に思った人もいたのではないだろうか。
フランスにしてもイギリスにしても、自国の(中で使われる)通貨はフランであり、ポンドである。
しかし、彼らが商売をする時、あるいは融資をする時、みなドルを使用する理由は、
この時期、欧州各国はずっと戦争を繰り返していたからだ。

クリミア戦争、普仏戦争、アメリカ独立戦争、フランス革命、アメリカ南北戦争などなど、戦火が絶えることはほとんど無かった。
よって自国の通貨は国際決済には使用出来ない。

そのため、
新たに国際流通通貨を造る必要に迫られて、
銀の純度に信用がおける上、当時のアメリカの法定通貨でもあったメキシコ・ドルが採用されたのである。

この時期、世界のの半分を産出していたのはメキシコだったのだ。

(タコ注:メキシコ共和国 8レアル銀貨。重量27g、 銀の含有量は23~24gで結果品位は862~886。)
しかし、そのメキシコをはるかに超える算出量を誇ったのが日本であった。
なんと
日本は石見銀山だけでメキシコとほぼ同等の銀の算出量があった。

もともと日本は鉱物資源国であり、
銀の算出量は当時世界一、金にしても世界トップクラスの埋蔵量だった。

外資系銀行はこの金と銀にも狙いをつけていたのだ。

そんな中、ついに日本でも戦争が起きてしまう。
それが1863年だったのだ。
(中略)
□ロスチャイルド家
さて、ここでいよいよロスチャイルド家が登場してくる。
(以下略。続きは本を買って読みましょう(^-^)/)
ベルギーでの幕府使節団(1867年2月)、
中央左が徳川昭武
イングランド銀行視察の折り、過去の見学者名簿の中に、長州五傑と薩摩藩の新納刑部(にいろぎょうぶ:家老) 、五代才助、堀壮十郎(通訳)の名前を見つけたと幕府に報告しています。

コチラ

大量に武器・弾薬を売りさばきたい国際金融資本家を最後の最後に裏切った(大政奉還)ため、
ロスチャイルドの指令で
長州藩に暗殺された?坂本龍馬


攘夷戦争、鳥羽伏見の戦い以前の海外への金流出については
幕末の通貨問題
を要参照。


当ブログの
人類の敵 中央銀行 まとめ
シリア攻撃阻止は「人類の希望」を繋ぐ戦い
(ブログごと抹消されてしまいました。)
もどうぞ。

今現在、イスラム国や反政府自由シリア軍が暴れているのは、
ロスチャイルドの支配する中央銀行が無いシリアの通貨を暴落させるためです!!
植民地から収奪した金銀財宝で建設された
エル・エスコリアル修道院

こちらは、
南北アメリカのカリブ海周辺諸国から
強奪された金銀の量
(ネット上から抹消されています。)
同じくサン・ピエトロ大聖堂

ラス・カサスの著書
インディアスの破壊についての簡潔な報告」に添えられたテオドール・デブリーの挿し絵。
虐殺されるカリブ海周辺のインディオスたち。




イスハニョーラ島の海辺の砂の上に立った
コロンブス。
この島に最初の砦を築いたスペイン人は、そこをナビダード(キリスト降誕)砦と名付けましたが、正しくは反キリスト砦・悪魔砦と呼ぶほうが黙示録の正しい解釈ですね。

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